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自己紹介

 「真理の研究」がどんな内容になるかは,私の過去に深く関係しています。ですので,自己紹介をさせて頂きます。

精神的危機


 私は,1974年生まれです。いわゆる,「超氷河期世代」です。大学では,理論物理学を専攻していました。無神論・無宗教の家庭に育ち,神話・伝説・宗教の類(たぐい)を一切信じない人間でした。目で見えるもの,手で触れるものにしか興味がなかったのです。
 20代半ばに,深刻な精神的危機を味わいました。簡単に言えば,“生きる意味”を失ったのです。私はその時,真剣に「真理を知りたい!」と思いました。「どんな困難にも動じない,どんな挫折にも逆境にも打ち克つことができる“永遠不動の真理”を知りたい」と願ったのです。この場合の真理とは,宗教的には「神」,心理学的には「存在意義」と言い換えてもいいでしょう。いずれにせよ,私は「生涯を懸けて真理を探究しよう」と決意しました。

真理探究のルール


 私は,一つだけルールを定めました。それは,「決してキリスト教には触れない」というルールです。なぜなら,私は宗教嫌いであり,特にキリスト教が大嫌いでした。理由は他でもありません。キリスト教は歴史上,最も人間を虐殺(ジェノサイド)してきた宗教だからです。しかも,異国である西洋人の宗教です。「日本人は日本の思想家に学ぶべきだ,あるいは,少なくとも東洋思想に学ぶべきだ」と,私は考えたのです。

生きる意味を求めて


東洋思想


 まず初めに,日本の儒学者・佐藤一斎の思想を学びました。明治維新の志士たちが感化を受けた「言志四録(げんししろく)」を,生きる指針としたのです。しかし,真理は見つかりませんでした。私は次に,儒教や道教に行きました。論語・孟子や老荘思想に,生きる意味を求めたのです。しかし,真理は得られませんでした。私は次に,仏教に行きました。ありとあらゆる仏典を大量に買い込み,読書と瞑想と反省の中で“悟道の域”に達しようと奮闘しました。しかし,真理は発見できませんでした。

西洋思想


 東洋思想に真理がないとわかった私は,やむを得ず,西洋思想に向かいました。最初は哲学です。プラトン・アリストテレスらの古代哲学からデカルト・スピノザの合理論,ベーコン・ロックの経験論,カント・ヘーゲルらの観念論,キルケゴールやハイデガーなどの実存主義など。読んだ哲学書は数知れず,書籍は年々歳々積み上がり,真理は年々歳々わからなくなるのです。私は次に,文学や心理学,歴史の研究に向かいました。特に心理学は特別に愛した学問であり,フロイトの精神分析学,アドラーの個人心理学,ユングの深層心理学,フランクルの実存分析などは,人間理解に非常に役立ちました。しかし,それでも真理はわかりませんでした。

回心


 東奔西走(とうほんせいそう)してアレコレ学んだ挙げ句,私に残されたものは聖書しかなくなりました。が,「キリスト教には触れない」と誓った身。私は仕方なく,旧約聖書を学びました(キリスト教の経典は新約聖書だけだと思っていたのです)。そこで,旧約に登場する預言者に,大きな感銘を受けました。彼らの雄々しい生き方,祖国のために生きた愛国者中の愛国者,たった一人で社会の大堕落に立ち向かった勇者,神の代わりに国民を責めたその舌鋒鋭い言葉。預言書に魅せられた私は,当然,彼らが予言した救世主が誰なのかを知りたくなりました。そうして,新約聖書に誘(いざな)われ,福音書や使徒の手紙を読み,忘れもしない2000年(25歳)の寒い冬の日,劇的な回心を遂げたのです。宗教,特にキリスト教を嫌い,しかもキリストによって回心する。これほど皮肉な話はありません。

決定的瞬間


真理研究の日々


 あれから二十数年間,必死で聖書を研究して参りました(そこに真理があったからです)。この二十数年間の私の人生は,真理の探究に捧げてきました。私にとって「真理の研究」とは,二つのことを意味しました。第一に,聖書を徹底的に研究すること。原語の古代ギリシャ語で原典聖書(ネストレ=アーラント)を研究し,写本と写本を比較考量(ひかくこうりょう)する正文批評を行い,イエスの教えの真意,パウロの福音の本質を解き明かそうと,毎晩毎晩聖書に向かいました。第二に,あらゆる学問分野を広く渉猟(しょうりょう)すること。もし真理が本当の真理であるのなら,あらゆる学問を解く鍵になるはずです。故に私は,哲学や心理学,政治・経済・科学など,あらゆる角度から真理を立証解明しようと努めて参りました。

神からの啓示


 そして,私の人生を決定づける“あの瞬間”がやってきました。言語を絶した超越的なヴィジョン,いわゆる神秘体験です。40歳になった2015年2月の寒い冬の日,私は神々しい幻とともに全能者からの啓示を受けたのです。啓示という言葉が何か胡散(うさん)臭く思われるのなら,心理学的に「集合的無意識からのメッセージ」と言い換えてもいいでしょう。いずれにせよ,目で見えぬもの,手で触れられぬものを一切信じない私が,見てはならぬもの,聞いてはならぬものを体験してしまったのです。
 私は,「自分の頭がおかしくなったのだ」と思いました。真理を求めてすぎて,精神的に破綻(はたん)してしまったのではないか!?そう考えたのです。ですから私は,必死に精神病理学を学び,自分の異常性を立証しようとしました。啓示を受けてから三年もの間,私は自分の精神異常を明らかにしようとしました。その結果として,「私は異常ではない」と結論づけざるを得ませんでした。理性的に思考でき,仕事も順調にこなし,対人関係も良好で,組織のマネジメントも行えている。つまり,私が受けた啓示は本物だったのではないか。そう判断し,2018年からブログを開始。自分の考えや啓示の内容を発信するようになったのです。

情報発信について


 私が受けた啓示,私が信じる真理,私が知った事柄を,これからは三つの手段によって発信していきます。第一に電子書籍です。第二にYouTubeです。第三にnoteです。電子書籍とYouTubeは,リンクを貼っておきますので,興味がある方はどうぞ。このnoteでは,「真理の研究」と題しまして,以下の内容を週1回のペースで投稿していきます。
 第一に,聖書のメッセージの本質を明らかにすること。キリストとキリスト教は別物です。キリスト教2000年の歴史によって捻(ね)じ曲げられた福音を正し,真理を明らかにしたいと考えています。
 第二に,様々な方面からアプローチした真理の姿です。聖書以外にも,様々な内容に触れることになります。時には心理学,時には哲学,時には芸術,時には政治や法学,あるいは経済やマネジメントなど。場合によっては,「生まれ変わり」についても触れていく予定です。転生は事実でありまして,この事実を伝えることも私の使命の一つだからです。

最後に


 長い自己紹介をお読み頂き,ありがとうございます。以上により,私が皆様に伝えたいことが何なのか,ある程度理解して頂けたかと思います。私が願うことは,「真理の研究」を通して,これを読む人が「生きる意味」を見つけること。また,読者が本来的自己(仏教でいう仏性,キリスト教神秘主義でいう“内なる神性”)を実現し,集合的無意識に滞留する創造的エネルギーを発揮すること。いずれにせよ,真理を知る一つの手がかりとなれば幸いです。
 
・YouTubeチャンネル「無宗教のための聖書入門
Amazon著者ページ
著書:「統合的存在論」
   「聖書研究」
   「キリスト教の嘘」
   「元型の心理学」
   「モナ・リザの秘密」
   「人類哲学への道」
   「生まれ変わりの物語」1~13
   「慰めの書」
   「日本社会への警告」
   「説得する技術」
 

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