表現がもたらすもの。

すたじおぽっちが開所する前、私は入所施設の職員だった。私の勤務する施設では50名の様々な障害のある方が24時間365日、共同生活をしていた。朝7時にみんなで食事をとり、午前・午後と2階の活動部屋で作業をする。夕方には順番に入浴し、夕食が済んだら各自、就寝。軽作業や畑、散歩、季節の掲示物作りなど、その人の能力に合わせて班に振り分けられ活動をする。訓練の意味合いもあり、職員の指示に沿って利用者が活動。職員は参加状況や能力などを評価する。職員側の物差しで、何かが“できるようになる”ことが良いとされ、私もそう信じていた。

そんな中、始まった創作活動。きっかけは、神戸で観た障害のある方の作品展。そこで気になった施設を見学し、そこからまた見学へ…。障害のある方の生み出す表現にどんどん興味を深めていった。
さて、いざ始めてみると…「あなたは何をしたいですか?」「絵を描くのは好きですか?」「そもそも、どんなことが好きですか?」。入職して2年、私は何をしてきたんだろう。一人一人のことを全然、知らない。そんな当たり前のこと…と思うかもしれないが、当時は、職員主導で支援する・される関係性は強かった。聞いたとて、答えられる利用者は少ないし考えたこともないし。何となく、ただ一緒に時間を過ごす日々。これでいいのか?自問自答。勝手に焦ったりもしながら、少しずつ少しずつ、変化が見え始める。

当時から“魚かな?”の絵ばかりを描いていたNさん。描きながら何故か笑い出すことに気づいた。笑った顔を見たのは初めてだった(私は)。紙を出されてすぐ”魚かな?”を描きだしたことにも驚いた。
「絵は描きたくない」と筆談で訴えたJさん。それでは何を?と、本屋へ行ったり、好きだった園芸や掃除を頑張ったり。しばらくして手で隠しながら小さなお花の絵を描いた。周りの反応が力となり“花畑”はどんどん広がっていった。と同時に、言葉がポツリポツリと出始めた。
“宝塚が好き”とお母さんから聞いていたHさん。1日かけて1~2行ずつしか進まない文章。何日もかけて美しい愛のポエムが完成した。物静かなHさんの頭の中を覗かせてもらったようだった。
絵は描かないがとにかく話をして帰る方や、知っている英語を披露し始めた方も。それぞれが様々な方法で表現し始めた。あぁ、きっと、みんな表現したかったんだ。

私も変わっていく。“何かしなければ”・“次はどうしよう”と考えてばかりいたのが、みんなに委ねていくことが楽しみになっていった。私が考えていたことなんて軽~く飛び越えていくような日もあれば、1日何となくで終わる日もやっぱりある。同じ日は1日もなく、その1日1日がすたじおぽっちを創っていった。生みだす作品はもちろん、何より、一人一人の変わっていく姿がとても嬉しかった。決められた日課や作業を忙しくこなすだけでは、見出せなかった姿だった。
一番変わったのは私の考え方。職員が何でも決めるなんて。大事なのは、したいことを「したい」と言える関係性。したいことを見つけていく過程をともに歩む。何をしているのか?わからなければ、わからないまま傍にいる。

表現活動は様々な可能性につながると感じている。それは障害のある方のためだけではない。むしろ、関わる人(職員)にとって必要な気づきを与えてくれる。「一人一人に寄り添う」言葉で言うのは簡単。でもそのためには洞察力、コミュニケーション力、想像力と創造力…様々なスキルが試される。ぽっちのメンバーと一緒に私も表現し、変化し続けたいと思う。

室本

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