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科学の方法 (岩波新書 青版 313)中谷 宇吉郎

この本は、自然科学の本質的な考え方とは、どのようなものであるのか。またそれは、どのような方法を用いているのか。どんな限界があるのかを書き留めた一冊です。

可能な限りで再現性を追いかける

一番おもしろかったのは、P80 五 解ける問題と解けない問題

しかし自然のほんとうの姿は、永久に分からないものであり、また自然界を支配している法則も、そういうものが外界のどこかに隠れていて、それを人間が掘り当てるというような性質のものではない、という立場をとれば、これがほんとうの自然の姿なのである。自然現象は非常に複雑なものであって、人間のちからでその全体をつかむことはできない。ただその複雑なものの中から、科学の思考形式にかなった面を抜き出したものが、法則である。それで生命現象などのはいらない、比較的簡単な自然現象だけに話を限っても、現在われわれが科学と読んでいるものでは、取り扱えない、あるいは取り扱うことが非常に困難な問題は、いくらでもある。実際のところ、自然界に起こっている現象では、生命現象はもちろんのこと、物質間に起こる簡単なように見える問題でも、厳密にいえば、同じことは決して二度とはくりかえして起こらない。そういう現象を、もし条件が全く一様ならば、同じことがくり返して起こるはずであるという見方で、取り扱うのが、科学である。こういう見方であるから、もし同じ結果が出なかったら、原因はほかにあるのだろうとして、更に調べていくわけである。これがすなわち科学の見方である。もっと別の見方もある。ほんとうの現象はどんどん変化していって、二度と同じことはくり返されないという見方もできる。これは歴史の見方である。現象を歴史的に見るか、科学的に見るかという根本の違いは、ここにあるように思われる。
 くり返していえば、科学の限界は、再現可能な問題に限られている。しかし、ほんとうの世の中には、再現可能な問題はない。再現可能でないものを、再現可能であるという見方をするには、ここで引いた例でもわかるように、現象をいろいろな要素に分けて考えてみるのが便利な方法である。空気の抵抗がなくて、重力だけで落下するのならば、それは重力の加速度で計算される速さで落ちてくる。しかしそのほかに空気の抵抗があるので、それがどれだけ効いてくるかを、別に調べてみる。空気の抵抗は、かなり複雑なものであるから、それだけについてよく調べてみる必要がある。

科学には、絶対解は無い。とするのが、一番わかりやすい解釈だと思います。もし仮に同じ条件が揃うのであるならば、同じ現象を起こす法則が存在する、と暫定的に過程するのが科学であると思っています。

大学受験のときに使っていた「横山ロジカルリーディングの実況中継」という参考書があるのですが、その中に出てきたカール・ポパーの「反証可能性」という科学哲学にとても惹かれたのを覚えています。

ざっくりと説明をすると「科学的に打ち立てた法則は、いずれも仮説であって、必ず反証可能性を残している」といったものです。

対偶を取ると「反証可能性の無いものは、科学ではない」ということです。

言い方を少し変えると「今ある科学の法則は、いずれも覆される余地が残っている」ということでもあります。

どうしようもないロマンを感じます。

この書籍内、他の箇所に書かれているのですが、

科学の真理は、自然と人間との協同作品である。
もし自然界に、人間をはなれて、真理というものが、隠されているものならば、それを発掘すれば、それでおしまいである。もちろん宝はたくさん隠されているので、一ぺんでおしまい、ということはない。しかし数多くの宝の中から、一つずつ見つけていけば、手の中に握った真理がだんだんふえていき、未知の分が、それだけ少なくなる。もしこういうものならば、科学はいつかは宇宙の真理を全部見つけ出してしまうであろう。
しかし科学の真理が、自然と人間との協同作品であるならば、科学は永久に進化し、変貌していくものである。このいずれの見方をするかは、趣味の問題である。「いつかは」といっても、「永久に」といっても、内容は同じことである。

自然との協同作品として、新しい科学法則を見つけ出し続けていくことができる。

科学的なものの考え方を通じて、ずっと終わらない、ゲームを楽しむことができるといっても過言ではないように思われます。

意外と根気

もう一箇所どうしても抜書きしたいので引用します。

実験によって、もののある具体的な性質、あるいは現象間のつらなりが知られたとしても、それだけでは学問とは言えない。いわゆる学問の定義の中にはいるには、そういう知識にある体系が組み立てられなければならない。体系ができてはじめてそれが役に立つことになる。
ところで、いろいろ雑多な個々の知識に体系をつけるという場合に、二つのやり方がある。その一つはこういう知識を、整理することである。たとえば、分類するということも一つの体系をつくることである。事実そういうことも、決してばかにはならないのであって、古典的な動物学や植物学の中で、いわゆる分類学といわれている部門なども、案外役に立っているのである。この頃は、そういう学問があまりはやらないので、何か初歩の学問のように思われている傾向もあるが、実際にはああいう知識が大いに役に立っているのである。

初歩のように見られている「分類」という手段が、理論を打ち立てるにあたって、一つ有効なアプローチなのだそうです。

この方法は、本当に色々な分野に通じると思っています。

資料を「収集→整理/分類→組合せ/利活用」する。実際かなり地味な作業になるのですが、かなり有用です。

じぶんは割と外食のお店に詳しい扱いを受ける。あるいは、広告・プロモーションの事例に精通している。あるいは人によっては何でも知っていると評価してもらえます。

こういった評価を受ける分野に通じて言えるのは、じぶんが普段から習慣的にその分野の資料に接しているものです。

その分野の資料を収集して、スプレッドシートやフォルダに整理をして、訊かれたときに組合せて紹介することができる。ある種の便利なスクラップブック・管理リストみたいなものをつくっています。いろいろな人にクレクレされます。

もともと、鋼の錬金術師にある「理解・分解・再構築」にヒントを得て続けていた習慣ですが、ここにきて理論に有用な分類のところにも似ていると気づきました。これにあとは実験が加われば.....

最近、DR.STONEを見るのがすごく楽しいです。ここまでに書き抜いてきた「科学の態度」のようなものも垣間見れて、とても共感するのです。

Amazon Primeで観れますので、この本と併せてみなさんぜひ!


終わりに

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