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ひとりで出来るモン?

「私、会社や組織に何の不満もありません!」 
と言う人がいたら、たぶん私は友達になれない。(おい。)
「いやあ奇特なひとがいたもんだ。」と思いながら付き合い続けるものの、密かに心を閉ざすだろう。(ネクラヨガらしくなってきたぞ。)
資本主義社会においては当然の原理であって、「組織の利益」と「個人の幸せ」をイコールで結ぶのはかなり難しい。どんなに福利厚生やワークライフバランスを整えたとしても。
そういった仕事生活の中にも、尊いやりがいや喜びがあり、人と人とを結ぶ出会いや絆が生まれるということを、もちろん私は知っているし、体感もしてきた。
けれど、会社員になっても、公務員になっても、フリーランスになっても、環境への不満がゼロになることはない。会社や組織の悪口を言いたいわけではない。
 
そんなとき、いつも自分に問うのだ。
「では、君は一人になったとして、いったい何が出来るのか?」と。
 
ヨガレッスンを例にとると、ヨガスタジオという「ハコ」があって、スタジオにはヨガマットやヨガブロック、各種プロップス(サポート用具)が用意されている。ハード面のみならず、ソフト面においても料金体系があり、欠席した場合の振替システム、休会・退会した場合の対応など整えられているのがスタンダードだ。
私たちインストラクターは、そういった整えられた環境のなかで、日々レッスンが出来ている。
 
さて少し前から、ヨガレッスンを自前でやってみようと思い立ち、準備を進めることにした。
まずは「ハコ」から、様々なレンタルスタジオやコミュニティセンターを見学に行き、担当者の方と相談しながらレッスンの輪郭を構想していく。
駐車場や冷暖房を使わせてもらうことも、希望通りの日に予約がとれるのも当たり前ではない、ということがわかった。
 
次に、必要な道具をそろえること。
ヨガマット、ヨガブロック、Bluetoothスピーカー、アロマディフューザー、カウンセリングシートを挟むためのクリップボード、お水、お釣り、延長コード…etc。
以前からプライベートレッスンは自前でやっていたが、グループレッスンとなると物入り度合いが桁違いである。みるみる私の自室はヨガ用品で満ちてきた。

そうして迎えたヨガクラス当日。
荷物を運ぶために、自宅→車でまず3往復、車→会場でさらに3往復。既に汗だくである。レンタルスペースは「現状復帰」が原則なので、レッスンの前後にはデフォルトで部屋にある机や椅子の運び出しから始まる。さらに汗をかく。もうシャワー浴びたい。

スタジオにスタッフさんがいて、レッスンをさせてもらえるって本当に有難いことなんだなあ、と改めて思っていた矢先、1人目の生徒Aさんが現れた。
私が「わあ、まだ30分前なのに、Aさん随分お早いですね。」と声をかけると、「初めての場所なんで、遅れないよう早めに来ました。準備手伝いますよ。」と答えたAさんは、慣れた様子で黙々とヨガマットを敷きはじめてくれた。有難いやら情けないやらで、さらに汗が止まらなくなった。
レッスン後も、参加してくれた方全員が机や椅子を元通り運び入れるのを手伝ってくれた。
 
その夜に、ひとり反省会。
せっかく休日に心身を整えるために来てくれた生徒さんに負担をかけたくない。次回はさらに手際よく進められるようオペレーションを再考してみた。
 
迎えた2回目ヨガクラス。
無事に準備は出来たものの、レッスン後お見送りをしようとした私に一人の生徒Kさんが「Yurie先生、片付け、みんなでやれば早いですよ。」と声をかけてくれた。
全員を見送ってから1人でやろうと思っていた片付けも、結局また生徒さんが9割がたやってくださった。グッとこらえたけれど、泣いてしまいそうだった。そのくらい自分が張りつめていたことに気づいた。
レッスン後に飲んでもらおうと用意していたアイスティーさえも、生徒Aさんが全員分コップに注いで、配ってくれた。私はただ、みんなの背中を見ていた。(お前も何かせぇよ。)

なんでも1人でやろうとして、
1人ではなんにも出来ないことに気づく。
自分を何ほどのものだと思っていたのだろうか。
これは、組織に所属したほうがいいとか独立したほうがいいとかの話ではない。組織に所属しても、独立開業しても、1人で出来ることなどほとんどないのだ。

 お世話になった人たちへ、愛を、感謝を、喜びを、余さず伝えられることはきっと無いんだろう、と思う。「より良いレッスンを提供することでお返ししたい」は8割正解だけれども、何だかまだチープな気がする。

残りの2割について、いつまでも未熟なままの自分で、考え続けてみよう。

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