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ずっと忘れずに、いられるだろうか。

「お客様のお声」というもの

ライトに表現すれば、クチコミやレビューということになるだろうか。
大多数の人が(もちろん私も)購入·利用にいたるまでに他者の意見・評価を気にするようになった。「お客様のお声」というものが、その商品やサービスのアイデンティティの一部を成すほど強力なコンテンツになって久しい。
 
私のホームページにも「Voice」というページがあり、レッスンに来てくださった方からいただいたご感想を掲載している。レッスンの雰囲気を対外的に伝えたいという目的でつくったものだ。
しかし、私といういち個人・いちヨガインストラクターとしては、「お声」は少し異なる意味合いをもつ。レッスンに対する評価であり、そして生徒さんの人となりを知るためのものでもあるのだ。内容のみならず、いつ、誰からいただいたのか、1つひとつよく覚えている。
 

大喜びして、離れてゆくひと

例えば、以前初めてレッスンを受けた方から、こんな具合に超喜ばれたことがある。

ヨガってすごい!今まで何年も抱えていた悩み・痛みがレッスンの翌日には消えていて、とても気分が良いです。これからもずっと続けていきたいです!

一見喜ぶべきご感想にも聞こえるが、効果や体感には個人差があるのは勿論だとしても、初回からここまで高評価だとちょっと驚いてしまう。
ヨガの効果は劇的でなく、時間を経て染み込みようなものだと私自身は思っているからだ。
初回の感動は徐々に薄れたのか、その方は2・3回でレッスンには来なくなった。
 
序盤に平均を激しく上回るようなお声を下さる方は、えてして続かない場合が多い。
違う場所でヨガを続けているかもしれないし、辞めることが悪いことだとも思わない。
しかし、万事において熱しやすく冷めやすいというか、「惚れっぽい」みたいな方にみられる傾向であることは否めない。
(でもまたいつか、ひょっこり来てくださったらいいな。)

時間をかけて、育むもの·届くもの

欲を言えば、1回のレッスンではなく1ヵ月、2ヵ月と続けていくうちに、「ああ、なんかいいな。私このレッスン好きかもな。合っているかもな。」と思ってくれると、すごく嬉しい。もちろん初回で、私やレッスンの雰囲気に嫌悪感を感じたりすることもあるだろうし、ある程度のフィーリングのようなものは判断できるだろうが。
 
一年以上レッスンに通ってくださっている生徒さんから、たまたま予約メールのやり取りで以下のようなお声をいただくことがあった。

この一年を振り返ると、Yurie先生のレッスンのおかげで心身共に穏やかに過ごせるようになりました。
今後ともよろしくお願いします。

今日、帰りにNさんと「やはりYurie先生のヨガが楽しいね。」と話してました。呼吸と運動となかまのベストバランスが心地よいです

2人とも普段感情を大きく表に出すようなことはなく、どちらかというとさっぱりとした方である。そういった人柄も相まって、いただいたお声はことのほか嬉しかった。自分の積み重ねを肯定されたような気がした。
文字の1つ1つを、何度も読み返して、
雨の日も、風の日も、レッスンをしようと思えた。
 
もう1つだけ、ご紹介。

「ヨガ楽しいよ!」というキラキラオーラたっぷりの先生だと気おくれしてしまうのですが、Yurie先生の柔らかだけど凛とした雰囲気が好きで、レッスン中も支えられてる気がしてしんどくてもメンタル落ちてても、ヨガ続けてみようと思います。

これに関してはキラキラしていなくて良かった、というほかない。映えないやつには映えないなりの美点があるということにしよう。
しかし私のパーソナリティに触れられたことよりも、嬉しかったポイントは「レッスン中も支えられてる気がして」というところだった。
綺麗ごとを抜きにして、私はレッスン中ほぼ自分のことを考えない。
目の前にいる1人1人が不安にならず不快にならず、レッスンを楽しめるように力を注ぐ。参加者の呼吸や身体の様子、どこを楽しんでどこに苦戦しているのか、目の前のことに集中すると60分、70分のレッスンなんてあっという間に終わる。

私はレッスンを組み立てる者だが、いざ始まれば単なるファシリテーターだ。そんな想いが届いている気がして、嬉しかった。


「studio KIKI」という名前の由来

そういえば屋号であるスタジオキキという名前も、いただいたお声から始まった。
レッスンでキャンセル待ちの状態が続いていたときのことだった。

予約がとりづらくても月に1回だけでも、先生のレッスンを受けるようにしてるんです。先生のレッスンを受けるとね、すっごく元気になるんですよ。1日が輝くんです。

その言葉が有り難く、「元気」や「輝き」や「喜び」、色んな良い「キ」が集まるようにと願いを込めて、「studio KIKI」と名付けた。
 
「感謝の気持ちを忘れずに」というのは簡単だが、どんなに嬉しいことも、悲しいことも、私たちは忘れていく生き物だ。

忘れないよう屋号にしてみたが、
果たしてずっと、忘れずにいられるだろうか。

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