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写真の技術よりも、カメラマンにとって必要なもの 【スタジオループ座談会①】

スタジオループはどんなフォトスタジオなのか。一言で表すなら…いや、それはちょっと難しいかもしれません。なぜなら、得意分野や追求するテーマが異なる4人のカメラマンが、良い写真を目指して活動しているのが、ループだから。それならば、まずは4人のカメラマンのキャラクターを知ってもらおう!というわけで、座談会を企画しました。

盛り上がりに盛り上がって、所要時間は2時間超。普段からたくさん話しているはずなのに、まだこんなに話すことがあったんだ…(笑)。全7回に分けてお届けします。

専門学校卒業、即デビュー

 
―4人がカメラマンになるまでの経歴や、スタジオループに入ったきっかけを教えてください。
 
COZI
僕は今年43歳になります。高校を卒業後に新潟デザイン専門学校に入って、卒業する頃には割と稼げていたんですね。在学中に新潟美少女図鑑を企画して、その時点でもう連載が決まっていたんです。新潟のフリーペーパー各社と契約が決まっていたり、昔は新潟に「キーパー」という高校生向けの雑誌があったんですよね。そこの編集部のカメラマンとして働いていました。時給制だったんで、まあまあ良い金額をもらっていたんです。
 
それで卒業後に就職しないまま、フリーのカメラマンとしてデビューしました。その頃には、カメラマンをしながら、友達と一緒に古町に「秘密基地」っていうギャラリーも作ったんです。作家的な活動やアートイベントの運営もしていて、街にのめり込んでいきました。24歳でスタジオループを古町でオープンして、現在に至ります。
 
この経歴は、ちょっと今っぽいかもしれないですよね。SNSがある今だったらできるかもしれないけど、20年前は誰もやっていなかったことを先立ってやっていた。
 
自分をプロデュースしながら、街に売っていったという感じがしますね。東京やニューヨークに行っても良かったんだけど、新潟でナンバーワンになるのが手っ取り早くていいなと思った。
 
新潟美少女図鑑を作ったテクスファームの近藤さんが言う「COOL LOCAL」というテーマにも結構惹かれていて、あの頃は新潟にフリーペーパーがいっぱいあって、街のお兄さんたちがスターだったんです。自分もそこに混じりたかった。だから何かしらの「冠」が必要で、「新潟で女の子を撮るならCOZI」というブランドを20代前半で作り上げるために頑張りました。人生で頑張ったのはそこぐらい(笑)。
 
寝ても覚めても写真に向き合っていましたね。それが成功したから今があるのかなと思います。
 

道を示してもらった

 
YAMADA
僕は新潟の服飾の専門学校を卒業後、東京に出てファッションスタイリストとして活動していました。学生時代、写真の授業をCOZIが受け持っていて、当時は先生だったんですけど、卒業後は友達みたいな感じで付き合いが続いていました。
 
2014年に新潟に帰ってきて、COZIから「どうしてるの?」と声をかけてもらって、いつも通り昼から飲んで、その場で「ウチに来たら?」「お世話になります」となった。
 
そこからカメラマンとしてのキャリアが始まりました。今までそんな想像はしてなかったんですけど、当時から友人として尊敬していたので、道を示してもらった感覚でした。
 
―カメラマンになろうと思ってはいなかったんですか?
 
YAMADA
なんにも思っていないですね。
 
COZI
なんなら、今も思ってない(笑)。
 
YAMADA
そうですね。
 
COZI
TAKUMAもそうなんですよ。TAKUMAも写真やってなくて。
 
カメラマンに必要なのものって、写真をやっていることではないんです。センスがあることと、人のために何かをしたいという思い。大きく言うと、人間的なセンスですかね。
 
ループで雇用する条件としては「僕が一緒に飲みたいかどうか」(笑)。
 
TAKUMAは元々美容師だったし、その後は友達の飲食店のキッチンで働いていた。彼にカメラマンとして何かを見い出したわけではなくて、ただ一緒にいて気持ちいいやつだと思ったんですよ。彼は未だにカメラマンとして自分を認めていない、特殊なタイプです。
 
極論すると、うちにいる理由はカメラマンだからじゃなくていい。YAMADAは他の3人のオペレーター業務が半分を占めている。彼が家族写真の納品を全部やっています。リベロのカメラマンですね。
 

その話は今知りました

 
TAKUMA
僕は高校卒業してダラダラしていたんですけど、まずは地元の美容室で働いて、そこを辞めて新潟市の美容室でまた働き直して、計2年くらい美容師をしていました。でも、美容師の練習が嫌いで、全然やる気がなくてクビになっちゃった(笑)。
 
COZI
そういうことだったの!?
 
TAKUMA
はい(笑)。言い訳をすると、同期に美容専門学校卒がいたんです。だから、技術の差を見せつけられて諦めてしまった。あっちは勉強してきているので。
 
つらくて辞めてしまった(笑)。その後、先輩から「じゃあ働けよ」って言ってもらって、キッチンで働くようになりました。で、COZIがそこの店長と親友だったんですね。それでそのときからCOZIと知り合いになった。
 
最初はよく飲みに来る先輩だったんですけど、気づいたらすごく距離の近い人になっていました。その頃、確か秘密基地のギャラリーで「自分の好きなものとか持ってきてもらったら写真撮ります」みたいな写真の企画展をやっていたんですよ。覚えています?
 
COZI
え〜?
 
TAKUMA
ばーっと写真を展示していたんですけど、僕も撮ってもらった記憶があります。その後、別の飲食店で働いたんですけど、COZIから「どうせ飲食やる気ないんでしょ?だったらうちに来なよ」って言われて(笑)。翌日、お店の社長に「辞めます」って言ったら、いろいろ条件を出されました。
 
「マラソン大会を完走しろ」とか。無事完走してループに転職しました。就職決まった後も、「ちょっと就職待ってください。インドに行かせてください」ってわがままを聞いてもらったりもしました。確か、ループができて2年目くらいの時ですね。
 
COZI
裏話でもないんだけど、TAKUMAが1軒目に働いていた美容室は、新潟美少女図鑑を一緒に作ってくれた先輩のお店だったし、2軒目で働いていた飲食店も僕の親友の店。3軒目で働いていた飲食店も、僕の友達のお店。で、3軒目で働いていたお店のオーナーと「TAKUMAどう?」って聞いたら「いやなかなか育てづらくてさ」って話になって、それで「フルマラソンを走らせよう」となった(笑)。
 
「フルマラソンを走り切ったら辞めていいよってことにしよう」と相談して決めて、「じゃあ、ループの入社条件としてはインドに行かせよう」って。1ヶ月ぐらい行ってたんだっけ?
 
TAKUMAを好きな先輩たちみんなで応援していたんです。かわいがられていた。写真ならセンスを花開かせられるかなと思った。
 
実家はぶどう農家だけど、背が高すぎてぶどうの木を超えちゃった。
 
TAKUMA
ぶどう農家は諦めてます。腰を痛めちゃう(笑)。
 
COZI
身長の高さを活かせるのって、カメラマンぐらいだと思うんですよね。美容師も腰が悪くなるって諦めたし、飲食店もキッチンが低くてストレスだった。それでループに誘いました。
 
TAKUMA
その裏話は今知りました(笑)。
 
COZI
大体、飲みながら誘うね。YAMADAもTAKUMAも、当時は週2ぐらいで遊ぶ仲だった。うちに入ってからも、週3ぐらいで飲んでたな。

家族写真がやりたい


HAMA

俺は真面目ですよ。大学中退後に写真屋さんか家具屋さんになりたいなと思って、面接を受けて新潟市の写真館に入ったんです。
 
9ミリかな、フィルム時代の写真屋さんだったんですけど、学校写真や婚礼写真を撮っていました。最初は修行みたいな感じだったけど、慣れてくると作業になってしまった。そうすると全然面白くなくなっちゃって。どうにかしなきゃなーと考えているときに、ループが楽しそうだから…っていう感じになったんです。
 
―元々はどこで知り合ったんですか?
 
HAMA
「フクフク」っていうフリーペーパーで仕事が一緒になる機会が何度かあって。一緒に飲んだのが始まりですね。「何かしたいことがあるんだったらおいで」って言ってもらって「家族写真がやりたい」って言ったんです。家族写真を頑張ってスタジオループのベースを作るから、みんなで楽しく撮っていける場を作れたらいいねっていう話をしました。
 

【次回へ続きます】


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