白馬
夢の中に一頭の白馬が現れた。
早朝の静けさの中で佇むその白馬は、淀みの無い湖に、生い茂った森の深緑を青々と際立たせる様に、悠然と映り込んでいる。
白馬が水面(みなも)を見つめ、映し出された自分と目が合った瞬間に、そっと瞼を閉じたかと思えば、其処だけ重力が無くなってしまったかの様に、白馬は空へとゆっくり吸い込まれて行った。
それと同時に水面に映っていた白馬も湖の底へとゆっくり沈んで行く。苦しそうに脚をバタつかせ、蹄で激しく水を掻く事もなく…立髪をゆらゆらと優雅に泳がせながら、安らかに目を瞑ったまま、泡粒一つ出さずにそっと落ちて行く。
ふと空を仰ぎ見れば、天高く登っていた筈の白馬が淡く雲に溶けてふわりと消えてしまった。
それでも、湖に映る白馬は実像を置き去りにしたまま、確かにその白い肉体をじわじわと沈下させている。
沈み行く白馬を目で追いかけながら、空をそっくりそのまま映し出した湖の中を覗き込むと、その奥底には星の煌めく夜の帳が拡がっていた。
どれだけその白馬を見つめ続けたのだろう。いつの間にか白馬は、その原形が分からなくなる程に小さくなり、数えきれない程散りばめられた星粒の中のひとつとなって、小さく囁く様に瞬いている。
ふと顔を上げると、驚いた事に辺りはすっかり夜が明け、山肌をするりと撫でた朝の光が、湖の上を滑る様に照らしていた。
この鏡の様に平らかな水面に、もう白馬の面影は一切残っていない。
風もなく雲が流れ、静寂が息もせず周囲を漂い。生い茂った木々達は、素知らぬ顔で凛と立ち並んでいる。
その時に私はやっと、白馬が本当は何者だったのかを知った。
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