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第4回「良いデザインの10カ条」(ディーター・ラムス)

このマガジン「デザインという営みにコピーを与えてみる」では、デザインにコピーを与えるという目標に向かって「デザインを語ることば」を集めています。第3回ではいけばな草月流初代家元・勅使河原蒼風の言葉「ウソをつけよ、ウソがまことなのだ。」を紹介しました。

さて、第4回でご紹介し、書き留めておきたいのはこちらです。

「良いデザインの10カ条」

これは、BRAUNのプロダクトデザイナーとして数々の名作を世に送りだしたデザイン界の巨匠、ディーター・ラムスが、自分自身のデザインの心得として常に意識していたとされる10ヶ条です。

革新的である
Good design is innovative.

実用をもたらす
Good design makes a product useful.

美的である
Good design is aesthetic.

理解をもたらす
Good design makes a product understandable.

謙虚である
Good design is unobtrusive.

誠実である
Good design is honest.

長命である
Good design has longevity.

最終的にディティールへと帰結する
Good design is consequent down to the last detail.

環境への配慮とともにある
Good design is environmentally friendly.

可能な限りデザインを抑制する
Good design is as little design as possible.

BRAUN ウェブサイトより 

ここに掲げられている言葉はどれも、いまなおデザインの本質を突いていると感じます。そして選ばれた言葉に、ディーター・ラムスの思想がはっきりと転写されているとも。

ただ、わたしがここに書き留めたいことは、この10ヶ条の中身ではありません。10ヶ条を自ら定め、実行し続けた、ディーター・ラムスの活動それ自体を伝えたいのです。

なぜなら、10ヶ条を胸に刻み、「自分のデザインが本当に良いデザインなのだろうか?」とたえず自分自身に問い続けるディーター・ラムスの姿に、デザインという活動の本質を感じるからです。

言い換えると、自分自身を律する道具立てとして、「良いデザイン」を評価する軸を持っていることそのものが、デザイナーをデザイナーたらしめている。そんな気がするのです。


自分自身の10ヶ条を持つということ

デザインに限らず、良し悪しの基準を定義するのは難しいものです。だからこそ、信念に基づき「良いデザイン」を定義することに価値がある。たくさんの作品を観察し、自分なりに良し悪しを定義しようと試みるなかで、審美眼が磨かれる。他者との認識の違いを取り込み、自己省察を深め、個々のビジョンが方向づけられる。そうして、その道の専門家らしくなっていく。

もしかすると、「良い〜〜」を主張できることが、専門家の条件なのかもしれません。そこにはその人の生き様すらうかがえるでしょう。「矜持」と言っていいのではないかと思います。

好きな言葉があります。

私たちが道具をつくり、道具が私たちをつくる。
We shape our tools, and thereafter our tools shape us.

これは、ジョン・カルキンが、マーシャル・マクルーハンのアイディアを端的に言い表したものです。

わたしたちは、みずから生み出した道具によって、自分たちをつくり直している。テクノロジーの変化によって、わたしたちの生活が組み直される。そういった趣旨の言葉です。

この「道具(tools)」という部分には、様々なものを代入できます。たとえば「矜持」を代入すると、こうなります。

私たちが矜持をつくり、矜持が私たちをつくる。

矜持を持つということは、矜持を定めて終わりではありません。定めて使い続けること、改善し続けることが必要だと思います。矜持とは一種の道具であり、使い続けるなかで進化していくものだと思うのです。

矜持を支えるビジョンも重要です。ディーター・ラムスのデザイン哲学を支えるビジョンは次の言葉に集約されています。

優れたデザインは人間を理解することでしか生まれない。
ーーディーター・ラムス

デザインは、デザインされたモノと人とのコミュニケーションで成り立ちます。口紅から機関車まで、あらゆる製品が人と関連して成り立ちます。人間とは何かという深淵な問いからはじまり、現代の社会課題まで。人の認知過程から心理・行動のパターンまで。あらゆる方法を駆使して人間について理解しようと試みることでしか、優れたデザインは生まれない。こういった信条が、良いデザインの10ヶ条を下支えしているのだと想像します。

さて、自分なりの10ヶ条を持ち、自分なりの哲学を持つということ。
信条として、矜持として、自身のデザインを批判的に見直すための習慣を築くこと

わたしはこの行為が、デザインの営みそのものだと感じます。ディーター・ラムスが、10ヶ条を掲げて自身のデザイン活動を批判的に検証し続けたその生き様こそ、デザイン的です。

良いデザインとは何か? 世の中が変化する限り、この問いに終わりはありません。自分自身の「10ヶ条」を持つということは、自己の専門性と誠実に向き合うために、ぜひとも見習うべき習慣だと思います。


おわりに

このマガジン 「デザインという営みにコピーを与えてみる」の執筆も、自分自身の矜持を確かめ、進化させるために実行しているところがあります。

わたし自身の10ヶ条は、現時点ではディーター・ラムスの10ヶ条をお借りしています。ラムスの10ヶ条は、人間とは何かという問いと結びついているので、いまの時代にあっても本質的な価値を提供してくれます。現時点では、それぞれの条項の具体的な説明に自分なりのビジョンを反映し、検討・改善することが求められるのではないかと思っています。

ただ、「デザインという営みにコピーを与えてみる」旅を進めるなかで、ラムスの10ヶ条を抜本的に書き換えてみたくなるかもしれません。自分の前提や思い込みを破壊できたら面白い。そんな経験を望みつつ、学びを楽しんでいきたいと思います。


今回は、ディーター・ラムスの「良いデザインの10カ条」を紹介しました。引き続き、わたしにとって魅力的な「デザインを語ることば」を紹介していきたいと思います。

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