なりたい自分
小さい頃からずっと、きちんとしたかっこいい大人になりたいと思ってました。
イメージはカツカツとハイヒールを履いてファイルみたいのを持って上司のとこに行って「ちょっといいですか!?」バン!! と上司の机にファイルを叩きつける。
・・・意味不明なんですが、物申す女をテレビかなんかで見たりしたんですかね。とにかくそういうのが、強くてかっこいい、ステキと思ってたんです。
ところが小学校の通信簿や三者面談の時には、
「いつもニコニコ、朗らか」
「明るく楽天的で、クラスにいてくれると安心感がある」
「スコーンと竹を割ったような性格」
「小さいことは気にしない。おおざっぱ」
「校庭の梅の木に登って、梅の実を勝手に収穫」
「落とし物コーナーに自分のものがあっても気づかない」
なんか理想とずれてます。
中学生以降、社会人になっても引き続き、謎の理想像を抱いたまま、
どんどん自分に厳しく、他人にも厳しくなっていきました。
無理してると、自分の頑張りを他人にも求めるようになるんですよね。
仕事をするようになると、この私の理想像は正しいように感じました。
大変だ、難しい、やるしかない・・・が口癖。
そこに向かって努力する過程で、本来の自分のいいところを封じ込めてしまった。
自分らしさを出すことはダメ、きちんとした自分でいなければ評価されない。
大人なのだから一人で何でも完璧にやらなければと思い込み、
自分への否定的な要求はエスカレートしていきました。
そのうち、自分の完璧主義、イライラしやすいところ、抜け漏れ絶対禁止、
いつも何かに追い立てられているような生き方にほとほと疲れて果ててしまった。
なんかもう色々ムリ〜ってなって、カウンセラーさんとこに行きました。
その過程で「どんな子供時代でしたか」と聞かれて、ずっと忘れていた昔の自分を思い出したんです。
自分らしさを思い出した今でも、ついイライラしたり、
完璧主義の思考に翻弄されることはあります。
でも「あとはいい感じにやっといてー」と自然に周囲に言える自分もいて。
私って元々こういう人間、と認めちゃうと、肩の力が抜けて、
周りの人に頼み事ができるようになりました。
自分の仕事と他人の仕事をきちんと仕分けられるようになると、
自然とミスが減り、得意なことは進んで手をあげられるようにもなりました。
絶対に完璧にと思うと手をあげることは無理になっちゃうんですが、一旦もらうよ、適当にやってみるよ、困ったら言うよ、という感じで気軽にできる。
軽いスタンスを自分に許すと「一人で何でも完璧に」の時代より、
ずっとラクにスムーズに物事を進めることができるんですよね。
「なりたい自分」は、本当の私。
本来の自分らしさを取り戻した私。
いや、できれば落とし物コーナーにある自分の物には気づいた方がいいけども 笑
でも、それも「ま、いっか」と言える私。
私のなりたい自分は周囲の人と一緒に笑って、
気楽に生きてる「自分そのもの」です。
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