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初めての味

20年数年前、石垣島。

18のころに一人暮らしを始め、自炊をすることになった。16のころに料亭の厨房にいたが、洗い場にいることがほとんどだったので、そこで料理をしたというような記憶はあまりない。

自分としては、ちゃんと料理をしたと思えるのはやはり一人暮らしを始めてからだった。とはいえ、自炊をすると言っても、何をしたらいいのか全くわからない。自転車で本屋に走り、料理のレシピ本を探した。これいいな、と思える2冊に決めた。そのうちの一冊が料理研究家のケンタロウさんの本だった。(ケンタロウの簡単料理これ、うまいね! オレンジページブックス))

水1カップが何CCなのかもわからない。大さじ小さじもわからない。そんな状態ながら、手探りでなんとか、その本に載っていた麻婆豆腐を作った。出来上がった麻婆豆腐を食べたとき、本当にうまいと思った。体に軽く衝撃が走ったことを覚えている。

自分が、こんなにうまいものを作れたのか。すごい、この本を作った人がすごい。ショウガって、こうやって使うとうまくなるのか。香がたつとはこうゆうことか。などと一人感動しながら、あっという間に作ったもの全部平らげてしまった。

本に載っていたペッパーミルがカッコいいなと思い、製造している会社に直接電話をかけてみた。通販はしているか、と。残念ながら通販はしていないのですと言われた。残念そうにしていると、どちらにお住まいですかと訊かれたので現在は沖縄の石垣島在住ですと答えた。それを聞いて電話口の男性は驚いていた。どうやって当社を知ったのかと訊かれたので、ケンタロウさんの本をみて電話したのだと答えた。すると、電話口の男性は、それならば商品を発送します。振り込み伝票を同封しますので後日お振込みお願いします。といって商品を発送してくれた。

すごい。こんなことがあるのか。ケンタロウさんて人はそれほど人望のある人なのかと、また一人感動していた。

普通よっぽどのことがない限り、先にお金を振り込んでから商品発送となるはずなのに、振り込み伝票を同封して送ってくれたのは、こちらを信用してくれたからで。もっと言えばケンタロウさんの本を見た、と言ったからなおさら信用してくれたのだと思う。

もしかしたら、電話口でなんとかならないかと懇願する俺を憐れんでくれただけかもしれないが。

後日届いたペッパーミル。握る部分は木製で、刃の部分は真鍮で出来ていた。カッコよかった。同封されていた振り込み用紙ですぐに振り込んだ。

そんなこともあって、自炊を始めたころの記憶は鮮明に、よい思い出として残っている。

現在は、18の頃に比べれば多少は料理が上手くなったとは思う。しかし、ケンタロウさんの本を見ながら、初めて作った麻婆豆腐。それをひと口食べたときの衝撃は、もう感じることはできないだろう。

あの感動的なうまさは。一人暮らしを始めたばかりで、堪らなく不安な気持ちの最中にあったからこそ、味わうことが許されたのだと思う。

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