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あの時間のつづき − 絵本がくれた時間 −

息子を最後に抱っこしたのはいつだったろう?最後に一緒にお風呂に入ったのは?最後に手をつないだのはいつだった?

今は高校生になった息子の子育ての日々の中で、何度も何度も繰り返したことの、その最後がいったいいつだったのか、思い出せないことがいくつもあります。我が子が成長して、そういうことごとが通り過ぎていくのは喜びだけれど、それでも時々、その戻らない時間のことを思って寂しくなる時があります。最後を最後と知らずに過ごしてしまったことが、少しだけ切なくなる時もあります。

最後に一緒に絵本を読んだのはいつだったろう?というのも、その最後のときを思い出せないことの内のひとつです。私も息子も絵本が好きで、息子が小さい頃には毎日、毎夜、一緒に絵本を見たり読んだりしていました。小学校に上がってからもしばらくは、私が息子の通う小学校で読み聞かせのボランティアをしていたこともあって、その練習台に、息子が聞き役をやってくれていたこともありました。それでも、息子が高学年になった頃からは、母と子の密接な時間というのは徐々に徐々に遠のいて、本当に、いつのまにか、一緒に絵本を読むということはなくなってしまいました。

それがつい先日、深夜に息子と話しこんでいた時に絵本の話しになり、ずいぶんと盛り上がりました。お互い、好きだった絵本を言い合い、ああそれオレも好きだった、お母さんも好きだったと言い合い、懐かしみ、私は、当時は知ることのなかった、息子がそれらの本から、どんなことを掬いとり、汲みとり、胸にしまっていたのかを、はじめて知ることになりました。そうなのね、あの場面が好きだったのね、そんなことを感じていたのね、お母さん知らなかったなぁ…と。

私は息子と話しながら、あぁ今この時は、あの時間のつづきだなぁと考えていました。息子と一緒に絵本をめくっていた時間の、そのつづき。もう過ぎてしまった、終わってしまったと思っていた時間の、つづき。

思えば、書き残せばよかったのにと思うことばかりの子育ての時間でした。せめて書き残していれば、過ぎてしまって、もうその最後も思い出せない朧げな記憶も、もう少しくらいは輪郭がはっきりしていたかもしれないのに。それなのに、そのときどきには余裕がなくて、何も書き残すことができなかった。そう考えると、もしかしたら今、私は、サッカーの試合の最後にちょっとだけある、" アディショナルタイム "みたいなものを与えられているのかもしれないなぁとも思えてくるのです。神さまが私に与えてくれた、あの時間の、ほんの断片を、書き留めておくための猶予期間。

そういうわけで、このマガジンでは、あの頃、私と息子が一緒に読んでいた絵本について、その時間について、そして、そのつづきの今について、書いてみたいなぁと思っています。


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