出雲大社 | 出雲国一之宮
御祭神
大國主大神
由緒
出雲大社の御祭神は大國主大神であります。その創建は記録によりますと大國主大神の功績を称えられました天照大神の御指示により御造営せられたのにはじまります。現在の御本殿は延享元年(1744)建築になって居り その後 文化六年(1809)明治十四年(1881)昭和二十八年と三回屋根の修理が行われました。建築様式は「大社造り」と云い、我国上代の住宅建築様式で壮大なる「大社造り」として国宝に指定せられて居ります。高さは約八十尺で六間四方、屋根の広さは約百八十坪、柱は九本あり、中心の柱は心御柱 又は俗に大國柱とも云って直径は三尺六寸であります。
出典:境内看板「出雲大社の御本殿」
本殿
「拝礼作法」二拝四拍手一拝
御祭神 大國主大神のお鎮まりになる御本殿の正面は南向きですが殿内の御神座は西向きとなっています。昔より御参拝の皆様は大神様に向い合い御神座正面から拝しております。先づ御本殿正面で御拝礼の後瑞垣に沿って摂末社を参拝され、御神座正面に当たる此の場所より再度心を込め拝礼なさいます。どうぞ御拝礼下さいませ。
出典:境内看板
拝殿
神楽殿
出雲大社摂社 素鵞社(そがのやしろ)
御祭神
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
由緒
素戔嗚尊は三貴子(天照大御神、月読尊、素戔嗚尊)中の一柱であられ、天照大御神の弟神にあたります。出雲国に天降りされ、肥河上に於いて八岐大蛇を退治されて人々をお助けになり、奇稲田姫を御妻として大國主大神をお生みになられました。
出典:境内看板
出雲大社末社 十九社
御祭神
八百萬神(やおよろずのかみ)
由緒
旧暦十月には全国の神々が大國主大神の許にお集りになられ、人々の幸福、生成発展のために神議なさる神在祭が斎行されます。十九社はその際の神々のお宿となります。又、平素は全国八百萬の神々への遙拝所です。
出典:境内看板
出雲大社末社 釜社(かまのやしろ)
御祭神
宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)
由緒
素戔嗚尊の御子神で食物をつかさどられる神様であり、全国にある稲荷社の御祭神であす。十一月二十三日夜の古伝新嘗祭の終段では、この御社より奉遷された御神釜の大前にて御釜の神事が斎行されます。
出典:境内看板
氏社(うじのやしろ)
御祭神
天穂日命(あめのほひのみこと)
由緒
皇室の御祖先神であります天照大御神の第二の御子神で出雲國造家の御祖先神です。大國主大神の“国譲り”に際してその功をあらわされました。天照大御神の御言葉によって出雲大社へ大國主大神がお鎮まりになると共にその祭主としてお仕えをする事になられました。現在の出雲国造(出雲大社宮司)は天穂日命以来第八十四代の直系の裔です。
出典:境内看板
氏社(うじのやしろ)
御祭神 宮向宿禰(みやむきのすくね)
祓社(はらえのやしろ)
御祭神 祓戸四柱の神(はらえどよはしらのかみ)
野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)
御祭神 野見宿禰(のみのすくね)
千家國造館
北島國造館
荒神社 天穂日命社 稲荷社(北島國造館内)
靈朝 少名昆古那 神像(北島國造館内)
天神社(北島國造館内)
御祭神 少名毘古那神(すくなびこなのかみ)
少名毘古那神は『日本書紀』に「大己貴命と力を合わせ、心を一つにして天下を経営され、人々と家畜のために、病気になったときの治療の仕方を定め、鳥獣や昆虫の災いを祓うためのまじないの方法を定められた神であり、人々は今に至るまでことごとくこの神のおかげを蒙っている」とあり、各地に伝えられている風土記にも登場されています。島根県内で、この神様をお祀りした神社は129社あるといわれていますが、主祭神としてお祀りされている神社は少なく(25社)、全国的にも大己貴命(大国主神)と合わせてお祀りされている神社が多く見受けられます。このように少名毘古那神は大国主神と深いご縁にある神様ですが、なぜか出雲大社の摂社・末社ではなく、出雲国造家の邸内社にお祀りされてきており、寛文の屋敷替えにあたって現在の心宇池之島の小祠に遷しお祀りされ、今日に至っています。
出典:案内看板「天神社 由緒」
真名井の社家通り
出雲大社摂社 神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)
御祭神 神産巣霊神(かみむすびのかみ)
神産巣霊神は天地万物の根本となられ、大國主大神が危難に遭われた際には常にお護りされ国造りの大業を助成せられた神です。元日の朝には出雲大社の大御祭に引続き國造以下神職参向の許、厳かに祭典が斎行されます。
出典:境内看板
神社裏の真名井遺跡では、銅矛、勾玉が発見されている。
大社のムクノキ
真名井の清水
彰古館
銅鳥居
松の参道
ムスビの御神像
縁結びの碑
御慈愛の御神像
勢溜大鳥居
下り参道
千家尊福公の銅像
浄の池
素鵞川
都稲荷社
門前通り
一の鳥居
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