外をみること
隣の芝生は基本いつも青いが、
たまに、サルが木から落ちるくらいの確率で、
自分の環境の良いところに気づくきっかけになることもある。
たとえば、今私の周りには、
職場でラップを大音量で流して笑い転げるお兄さま方がいて
年上とも対等に接しちゃうさばけたお姉さま方がいて
ゲラなのに自分のワードセンスも光ってる見守り人がいる。
そんな環境で、特に何を考えるともなく過ごしていたけれど、
あるとき別のコミュニティの人々と話して、愛想笑いをした瞬間に気づく。
あの環境を、自分がいかに好きだったかということ。
もちろん、今は作り笑いをしてるその相手だって、一緒に時間を過ごしていけばきっと居心地のいい仲間になっていく。頭では理解してる。
それでも今はどうしても、
笑いのツボのずれやリアクションのタイミングの違いをからだが敏感に察知して、
ここじゃない感という名の違和感を連れてくる。
それと同時に、自分がいたコミュニティとそこにいる人々への愛おしさが、滝のように流れ込んできて、
そうやってはじめて、私はあの場所であんなにものびのびと息をしていたんだと知ることかできる。
だから、怖がらずに外の世界をみてみることって必要だと思う。
基本、サルは木から落ちないから、結局隣の青光りと比べて落ち込んじゃうことが多いかもしれないけど、
でもね、こんな当たり前なことを嬉々として記事に書いている私の芝生よりあなたのは圧倒的に青いから大丈夫。
前向きに生きていこう。
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