諸葛亮孔明と鬼舞辻無惨の組織運営上の過ちについて。
組織運営は、個々人の考え方があり、非常に難しいと思います。
私は、個人的には、三國志に出てくる晩年の諸葛亮孔明と、鬼滅の刃に出てくる晩年の鬼舞辻無惨には共通点があり、その判断は組織運営上、間違っていたのではないか、と考えています。
故事「泣いて馬謖を斬る」の経緯
中国の、魏・蜀・呉の三国の戦いを描いた、三國志(ここでは特にフィクションの三國志演義についてになります)。諸葛亮孔明は、軍事コンサルタント(宰相)として、長らく蜀のトップ、劉備玄徳を支えました。
劉備の晩年に蜀の配下に入った、由緒正しい軍人一家の馬一族の末っ子、馬謖(ばしょく)は、弱体化する蜀の中で、数少ない有能な武将でした。ただし、性格的には口が立つタイプで、劉備はあまり馬謖を信用していませんでした。
劉備の死後、諸葛亮により重く用いられた馬謖ですが、街亭の戦いで、諸葛亮の指示に背いたことで、魏に敗戦してしまいました。
周到に戦略を練り、天敵の魏に勝つチャンスを馬謖のせいで奪われてしまった諸葛亮は、馬謖を死刑にします。
愛弟子の馬謖の処刑に踏み切るにあたり、諸葛亮は涙を流しました。「馬謖ほどの有能な将を」と死刑を諌める意見もありましたが、諸葛亮は「軍律の遵守が最優先」と涙を流したそうです。
鬼滅の刃、鬼舞辻無惨のパワハラ会議
ネタバレになってしまったら申し訳ないですが、鬼滅の刃に出てくる鬼のトップ、鬼舞辻無惨には、自分が認めたトップ12の部下(鬼)がいましたが、そのうちの1人が敵(鬼殺隊)に殺されてしまったことを期に、下から4人を自ら殺してしまいました。
敵の武将(柱)は9人、自軍には12人の武将がいたのですが、結局7人になってしまいました。
諸葛亮孔明と鬼舞辻無惨に共通する過ちとは
組織ですから、いろんな考え方の人がいます。
トップは、組織のゴールに反する行為をする人物はすぐに排除する義務があると思いますが、馬謖は自分なりに蜀が勝つためにやったことで、鬼滅の鬼たちも、十分だったかどうかは別として、組織のために働こうとしていたのは間違いありません。彼らが生きていれば、最後の総力戦でも一定の役割を果たしたのではないかと思います。
その存在を、自身が認めた人物であるに関わらず、自身の一時の感情で排除してしまったことが、その組織の寿命を縮めてしまった、と言えます。
組織運営は、感情を超えて、組織の目的に合うか否かで諮る必要があると思いますが、皆さんはどう思いますか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?