あらゆるすべての建築は名建築だ論
ご安全に。@koyoarchiです。
普段は構造設計と、建築に関する生産性・業務改善が主な関心事なのですが、今回はデザインについての話です。(できるのか?)
(※この発言は個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません)
あなたの思い浮かべる名建築とは?
突然「名建築を思い浮かべてください」と言われたとしたら、いったい何を思い浮かべますか?
オペラハウス?セントレア空港?祈りの教会?サヴォア邸?
確かに、どれも間違いなく名建築に値するものばかりです。(ちなみに私はアアルト推しです)
これらはすべて世界にたったひとつの建築物です。他に比類のないものだからこそ、訪れる人を魅了し、雑誌に掲載された写真だけで「行ってみたい」という憧憬を抱かせるほどのパワーを持っています。
こんな華々しいパワーを持った建築は、文句なしに素晴らしいもので、名建築の名に値するといえるでしょう。
名建築とは「人の心を動かす建築」といって差し支えはないでしょう。
どこにでもある建築はつまらないのか?
ところで、どこにでもある建築物の代表格といえば、団地です。
同じ間取りの部屋が4~5層重なり、さらにその住棟がいくつも平行に並び、均一的な環境を作りだしています。
こういった均質さや統一感は、しばしば無機質なものとして捉えられ、人間らしくないものとして批判の対象になってきました。
原野を切り開き、宅地として開発されていく多摩ニュータウンはその象徴としてやり玉に挙げられることもあります。
スタジオジブリの名作のひとつ『平成狸合戦ぽんぽこ』では、まさに多摩ニュータウンの団地の風景が、かつてあった原風景である森林をねじ伏せようとするものとして描かれています。(団地マニアとしては、非常にカナシイ!)
平成時代の原風景は自然ではなく建築だった
私が学生の頃の学生課題には、必ずと言っていいほど自然・緑・環境との共存をテーマにした作品が登場しました。
しかしそんな作品を見るたびに、どうもぎこちない感覚というか、不自然なものを感じずにはいられなかったのです。生まれたときから周りには団地、スーパー、マンション、駅といったビルディングに囲まれていたので、私にとっての原風景は、森や山や川といった自然ではなかったためです。
緑や自然は確かに心を癒してくれます。きっと私の奥底にインプットされている生き物としての本能が、ほっと安らぎを感じているのでしょう。
役目を終えた建築
建築の原点は洞窟といわれています。自然という過酷な環境の中に生を受けた人類は、身を守り繁栄を続けていくべく、“住む”ことを身につけました。洞窟の外へ一歩出れば、そこには人間の手のくわえられたものは一切ありません。建築は初めて人類に空間の境界をもたらしたのです。
しかし、現在はその境界はかなりあいまいになっています。
特に都市部には如実ですが、建築の外にはまた別の建築があるばかりで、かつてあった建築の内外の対立はかなり和らぎつつあります。
そのため人々の建築への関心は、その内部へどんどん深まっていきました。スキップフロアで内部の過ごし方を操作したり、外空間への開き方や外部コミュニティとのかかわり方を模索するなかで、建築が人間をどう操作するか・人間がどのように建築を解釈するか、ということに関心が移っていきました。
空間VS人間
しかし、改めて考えてみると、私たちはどんな建築であろうとも、空間を自分たちで解釈することができます。
まったくの未知の空間へ生まれたとき、身の回りのものすべてが見たことのないものです。しっかりと守られた母親のおなかの中から、あらゆる刺激があふれるこの世界に出現するわけですから、それはもう何もかもが新しいことです。
匂い、暑さ、狭さ、湿っぽさ、明るさ、暗さ、静けさ、五感すべてで空間を認識することで、私たちは未知の空間を自分のものにしていきます。
そうして五感を刺激されながら初めてその空間を認識し、私たちは空間を“場所”にしていくのです。
空間を場所にするとはどういうことか
空間を場所にすると言われると、???となってしまいますが、
場所というのは「空間を経験することで得られる認知」のことを指します。
小さいころ、友達の家に遊びに行ったとき、「あぁ~他人の家の匂いがするなぁ」と思いませんでしたか?おそらく、その友達も私の家に遊びに来たとき、同じように「よその家の匂いだ!」と思ったに違いありません。
ですが、自分の家の匂いというのは不思議なもので、嗅ぐとふっと安らぎを感じます。
これは空間を「ここが実家というものであり、自らが過ごした時間の長いところである」ものとして、匂いという経験を通じて場所性を獲得したということになります。
どこにでもある建築が名建築になる
建築の内部によって人間を操作せずとも、人間はその空間を自由に解釈できる(場所にできる)のであれば、
たとえ一見特色の薄い、もっといえば無機質と表現されるような団地ですら場所になりえるのです。
いつも通学路で通った近道の裏路地、そこの角に立つ古めかしい長屋、河原にのぼって見える古い公団住宅…
私たちはあらゆるものを経験によって解釈し、ときにはどこにでもある建築にさえ「懐かしさ」「さみしさ」…を思い起こすのです。
そして名建築というものが「人の心を動かす建築」のであれば、一般的に「名建築」として称されるものでなくても、それはまぎれもなく誰かにとっての名建築といえるのです。
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今回はかなり長くなってしまいました…
途中で推敲もしましたが、何を言っとるんだ?という表現もあるかもしれません。(書いてる途中でアツくなってきたので文体がおかしいかも)
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