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【書評2】シュムペーター 『租税国家の危機』

 ドイツを除く多くの先進国で財政赤字が累積し、特に日本はその債務残高が空前の規模にまで膨張している。今後も長期間にわたり生産年齢人口が減少し、社会保障関係支出が増加することが予想される中でいかに財政健全化を達成するかが日本が直面する最大の課題の一つとなっていることは言うまでもない。

 そのような中で、『租税国家の危機』というタイトルは魅力的である。経済制度論や財政学に多大な貢献をしたシュムペーターの著作であるというだけに、国家統合のための支出を租税徴収で賄う「租税国家」という視点から、どのように財政問題の課題や展望を語るのだろうかということに興味を掻き立てられるのである。(本文は80ページほどに満たない小冊子だが、咀嚼し理解するのに2ヶ月ほど時間がかかった。) 

 経済学者シュムペーターは二つの世界大戦がヨーロッパ社会を劇的に変化させた1883年から1950年という時代のオーストリアに生き、その貢献は幅広い。経営学では「イノベーションによる創造的破壊が経済成長をもたらす」とする経済理論が知られているが、財政学や社会学でも多大な功績を残している。財政社会学に影響を与えた本書『租税国家の危機』は、第一次世界大戦の終戦間近に空前の公債債務累積問題に直面した祖国オーストリアを眼前にして、「租税国家」の本質、その発展と衰退の説明を試みようとした著作である。

 本書の結末では、「租税国家」の崩壊は必ず起きる。その時には社会的共感の環は強化され、代わりに私企業は社会的意義を失う。そして競争自由の経済に代わって社会主義の経済が実現する。という衝撃の展開が述べられている。シュムペーターは社会主義者ではないが、社会主義への移行が不可避的に起きるとしている点に驚いた。

 本書の内容を概観する。冒頭「第一章 問題」でシュムペーターは、第一次世界大戦で戦費調達のためにオーストリアが空前の債務を負ったことに対し、それが現行の資本主義経済体制のもとでは解決し得ないとすれば、それは資本主義を基軸とする「租税国家」という社会形態の根本に重大な欠陥があり、それが戦争をきっかけに露呈したにすぎないのではないか。もしそうであれば、「租税国家」が崩壊した先にどのような社会形態の変化が予見されるのか。という問題提起をしている。

 彼の問題提起は単に自由経済は社会主義的経済に移行してしまうのか、或いは、国家の次に社会統合を実現する財政主体やその方法は何か、といったレベルに留まるのではない。「租税国家」という社会形態の発展が、経済・社会の発展と相互に作用しており、それが人々の生活・価値観・生き方といった社会の根本にまで影響を及ぼしているということを看破した上で、「租税国家」の機能停止が社会をどう変化させるのかという問題に本書の主題を置いているのである。

「租税国家の機能停止、そして、共同体の今までとは異なった形の欲求充足方式への移行は、…たんに戦前の財政組織に代わってそれとは異なった財政組織が出現することを意味するだけではない。…社会構造は現状のままにとどまることはできなくなる…生活感情と文化内容、個々人の心理的慣習-そういうすべてのものが変わらざるを得ないであろう。」(シュムペーター, 1983, pp.7-8)

 続いて「第二章 財政社会学」では、本書の議論を財政社会学という考察方法の下に進めていくことを明らかにしている。彼によれば、諸国家の財政状況と財政政策は(意図が無かったとしても)その社会の産業組織形態を決定付け、それを通じて人々の精神や文化にも影響を及ぼしており、また逆に人々の精神や文化の状態が、財政状況や財政政策にフィードバックを与える。だから財政史を通じて社会を考察するという方法によって、社会の大きな特徴を説明することができるという。彼自身が、「大部分神の胎内に眠っている」というように、その考察方法は確立されたものではなかったのだが、続く章でこの考察方法を用いて試論を展開していくのである。

ある国民がどのような精神の持ち主であるか、どのような文化段階にあるか、その社会構造はどのような様相をしめしているか、その政策が企業にたいして何を準備することができるか-これら、その他の多くのことがらが財政史のうちに見出されるといっても過言ではない。財政史の告げるところを聴くことのできるものは、他のどこでよりもはっきりと、そこに世界史の轟を聴くのである。(シュムペーター, 1983, p.12)

 「第三章 中世末期の料地経済の危機」では、ヨーロッパの「租税国家」の前身である「封建団体」の社会形態について、それがどのような発展・衰退過程を辿り、「租税国家」を形成せしめたかについて史実を元に明らかにしている。彼によると、ドイツとオーストリアでは、中世14世紀〜16世紀の帝国と領主領邦の関係に、その後の租税国家の萌芽を見出すことができるという。

 当時の領主領邦の様子を簡単に振り返ることとしよう。領邦諸侯と帝国国主との関係が希薄化するにつれて、諸侯は自己保全のための財政支出を増大させる。すなわち、領主が所有する土地や農民、荘園主、諸貴族からの収入、つまり領主の「家産」からの収入を、領主の個人的な政策に関わる経費、例えば戦費や家臣への給付に必要な費用に当てるということを始めるのである。ここに領主の財政管理の基礎が見出される。ところが領主財政は早くは14世紀から、とくにオーストリアにおいて財政危機を迎える。第一の原因は戦費の増大であり、続く原因は自らの地位を確立するための家臣への給付の増大である。

 その後に起きる財政上の変革には、シュムペーターが述べる所の重要な意義が隠されている。16世紀にオスマン=トルコの進行が始まると、もはや領主は自らの家産で戦費その他の個人的経費を賄うことができなくなる。そこで、地方領主は借金を作り始めるのだ。領主は借金を作るにあたって、彼の下にある等族領主(Standesherr)に、相手の権利や財産を侵害しないことを条件として戦費調達することを約す[無侵害状(Schadlosbrief)を参照]。 彼の等族領主はそれを承認し、借金によって支出を賄うという財政状況が生まれる。

 この変化の意義をさらに突き詰めよう。無侵害状を元に戦費調達のために借金をするという事態はなぜ起きたかというと、それはトルコ戦役という「共同の困難」があったからである。それまで領主の財政支出は領主の私的な必要に基づくものであり、その支出に公的な性格はなかった。(中世世界では、領主の財政支出はその領主の下に所有されている人々にとって「運命を左右する支出」だが、その運命は領主の意思に完全に委ねられている。よって公的な性格はない。)しかし、トルコ戦役という共同困難に対する支出は、誰もが困っているからお互いに助け合わなければならないという公的な性格を持つものである。ここで発生した財政支出は、それまでの財政支出とは全く性格が違うのだ。こうして初めて、現代財政に通じる「公共支出」という性格をもった財政支出が現れるのである。

 等族領主(Standesherr)は、領邦諸侯による財産の侵害を受けないという承認を得たことによって私的領域を形成し、その下で公的支出のための租税徴収制度を形成していく。ある等族領主の下では租税を財源に公共教育が盛んに行われたという。このようにして租税国家の核心となる制度は生まれたのだが、その後領邦領主は軍事的優位を背景に、等族領主の下で形成された徴税権を奪い取ってゆく。それまで「封建団体」にすぎなかった領邦は、租税徴税権を得て、「租税国家」へと生まれ変わったのである。

 「第四章 租税国家の本質と限界」では、近代国家の財政制度と市場経済制度が相互作用の中で発展した過程と、財政が資本主義化の進む私経済を乗りこなすためにいかなる変容を遂げたか、その変容の結果財政制度、及び租税国家はどのような限界を持つようになったかということが論じられている。

 第三章では租税国家の形成過程をその前時代の封建団体の崩壊における財政制度の変容の中に見出した。そこで示唆されていたのは、「共同の困難に対する共同の支出」という性格を持った近代国家的財政の誕生は、同時に「私経済」を産み落としたということである。この「私経済」は市場経済の発展とともに、大きな進化を遂げる。

個別経済は、個人あるいは家族を自立させ、さらに楽園の林檎がそうしたように、個人を強制してこの世の経済的現実に眼を開かせ、その目的をかれの利害から選択させる。かれの視野はせばまる。かれの生活は自己の家庭に向けられて、その窓からだけ世間をみる…いまや、個人は自分のために経済し、そうでないばあい、…原理的にも事実の上からも、すべての経済的手段を奪われたままである。(シュムペーター, 1983, p.34)

 一度租税制度が発展し国家の中に租税を徴収するための機構が立ち現れると、租税制度それ自体が経済に対する支配力を強めようとし、自分自身で膨張するようになる。実際に、トルコ戦役によって生まれた財政需要が私経済を産み落とし、私経済が市場経済の発展とともに膨張したことで租税制度がそれを利用して自ら膨張するようになった。第二章で述べられた、財政政策と人々の精神文化状態の相互作用が、ここに明白に存在していることが分かる。

 そのような過程を経て形成された租税制度には、一見明白な限界がある。それは、徴税力が支出力を規定するということである。企業利潤には一定の限界があり、その限界を超えて課税を行えば企業は直ちに破綻し、課税対象を失ってしまうという当たり前のことである。

 国家の経済的給付能力(支出上限)はいかにして決定されるかについて、彼は次の事実を出発点としている。

租税国家の経済的給付能力を理論的に把握するため、指導原理となることのできる事実がある。それは、市民社会では、誰もが、自分自身と自分の家族のために、労働し貯蓄するのであって、それ以外では、せいぜいのところ、自分で選んだ目的のためにしか労働し、貯蓄しない、という事実である。(シュムペーター, 1983, p.38)

 このような市民社会のもとでは、人々を支配していたはずの国家は市民の個人的利害に調和する範囲でしか徴税を行うことができない。また、徴税によって市民の労働意欲や経済成長に与える影響を見通すことはほとんど不可能である。徴税の圧力がその個人的利害と調和する限界まで大きくなると、それに対する抵抗や、徴収する機構側の消耗はいよいよ激しさを増すのである。そしてシュムペーターは章の最後に、この限界が超克される条件について次のように述べている。

もし国民の意志が、ますます大きい共同経済的支出に向かってすすみ、ますます大きい財源が、私人がそのために創り出したわけではない目的に使用され、さらに、ますます大きい権力が国民のその意志の背後に立ち、ついには私有財産と生活様式にかんする考え方の変化が国民のすべての分野をしめるようになれば、…租税国家は超克され、社会は、個人的利己主義のそれとは異なった経済的同期を頼りとするようになる。(シュムペーター, 1983, p.48)

 そのような世界とは、再び「共同の困難」が市民社会に現れる時ではないだろうか。シュムペーターはその時こそついに、「租税国家は崩壊する」と述べているのである。

 最終章の「第五章 それは崩壊せざるをえないか?」では、租税国家の「本質的な崩壊」と、「租税国家の崩壊」を峻別し、前者の可能性を論じている。これまでにいくども「租税国家」は崩壊してきた。しかし、その崩壊は単に財政破綻や他国による併合が原因であり、「租税国家」というシステム自体への信頼を失わせるような崩壊の仕方ではないという。本書中で彼が何度も述べている通り、第一次世界大戦によって生じた累積債務そのものは、オーストリアを崩壊させるかもしれないが、租税国家を崩壊させるものではないというのだ。

 シュンペーターは租税国家は社会主義国家に変化し、そしてそれが不可避であるという。租税国家がいかに「崩壊」するのか、本書から明確な解答を得ることはできなかったが、その概論は、本書の20年後に描かれる『資本主義・社会主義・民主主義』の中で与えられている。資本主義の本質とは企業家による新結合(イノベーション)である。しかし、新結合の繰り返しは、究極的にはあらゆる業務の自動化、非人格化という傾向を持ち、企業家の周囲にいる労働者や、最終的には企業家自身がその労働から疎外される事になる。とすれば、租税国家の土台である小生産者や小商人の経済的基盤を奪い、彼らは共同の危機に陥る。自身も疎外される企業家も、資本主義を守るという情熱を失い、やがて社会主義的経済様式に必要な諸条件が満たされるようになるという。 

 資本主義はその成功の結果、自ら衰退し、解体されていくのである。

その最後の時刻は来るだろう。しだいしだいに、経済の発展と、それにともなう社会的共感の環の拡大によって、私企業はその社会的意義を失ってゆくであろう。…社会は私企業と租税国家を超えて進展する。-戦争の結果としてではなく、それにもかかわらず、である。これもまた確実である。(シュムペーター, 1983, p.82)

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 最後に、残念ながら今回の書評は本書およびその巻末の解説に負うところが大きく、ただ単にそれらの論理を理解するために整理をしたというだけのものにすぎない。経済・社会の核心に迫るにはまだまだ技量が足りないということを思い知らされた。また何度も読み返してみたいと思う。

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