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繊細社会人の憂鬱

新社会人となり4ヶ月が過ぎた。

学生の資格を剥奪されてからもう4ヶ月たったのかと思う自分と、これだけの疲労感でまだ4ヶ月かと思う自分が混在し、日々先の事を考えては途方に暮れている。

やる気はある。だが日々食らうダメージが大き過ぎる。

別に大した事ではない。電話をうまく取り次げなかったとか、上司に頼まれていた仕事を後回しにしてしまい痺れを切らされたとか、その程度の問題ではある。

だが、その程度の問題すら対処できない自分に日々劣等感を抱いては、そんな感情に苛まれている間に二発目、三発目と追いダメージを食らい、いつもギリギリの所で踏ん張っている。

そんな日常がここ最近は続いている。

有難い事に自分を気にかけてくれる上司もいるし、頼らせてもらえる先輩もいる。

けれども色んな事を要領よくできない自分に所々嫌気がさすし、要領よく仕事をこなしながら、下っ端の自分に対しても優しく接してくれる先輩を目にしては、日々自意識過剰なダメージを食らい、『あぁ自分にこの仕事は向いていないのかもしれないな』と尚早にも思ってしまう。

『まだ4ヶ月。最初はそんなもんだよ』

そう言って励ましてくれる人もいる。自分でも長い目で見れば、きっとそうなのだろうと思える。

けれども、今この瞬間を生きている当事者として、今はそうは思えない。今が全てじゃないなんて、今は到底思えない。

そんな事ばっかり考えているから、仕事中凡ミスするのかもな。

自立するって難しい。怒られる事に慣れていないから、一つ一つのミスや注意にいちいち全力で食らってしまう。

あぁ、今まで本当に人に守られて生きてきたんだな。今凄くそう実感できる。

そう思えた事が何よりの幸せでもある。

けれどもこれで終わりじゃ無い。これからも人生は続いていく。

そして人生の終わりの瞬間は、自分ではなかなか分からない。

それが時に人生を続ける理由にもなるし、時に辞める理由にもなる。

だからこそ、これからも人生を続けていきたいなと思う。

正直日々求められているスピード感や社会の流れに、自分は全然追いつけていない。早過ぎる。

余裕で日々求められているスピード感に付いていくのがきついし、遅れないように必死になっている内に、視野が狭くなって納得できないミスをしてしまう。

そして失敗を恐れるあまり、その場を適当にやり過ごす事に慣れてしまう。

恐らくこのスピード感の中で生きていく事が向いていない、気がする。

けれども、まだ覚悟を持って、『ゆっくりじっくりと生きていく!』 と決意できるほど、今の自分は割り切れていない。

まだ 

" この社会に慣れていけるかもしれない "

と淡い期待を抱きながら生きているし

" この社会に完全に染まりきりたくはない "

という思いも抱えながら生きている。

そんな感情の反復横跳びを繰り返しながら、毎日自分なりに懸命に生きている。

そうやって心の整理がままならないまま、自分にとっては早過ぎるスピード感の中で、日々なんとか走っている状態がここ最近は続いている。

いやぁ、みんなどうやって生きてんだろうな。きっと同じように心が繊細で丁寧に暮らしたいけど、踏み出す勇気が出ずになんとか社会のスピードに合わせながら、毎日必死で生きている人が一定数居るんだろうな。

私はそんな人達を心からリスペクトしています。

気持ちが痛いほど分かるからこそ、心からリスペクトしています。まじスタンディングオベーションです。

恥ずかしいから面白くない微ボケしちゃったけど、本当にリスペクトしています。

だってここまで自己満哲学して理解した上で、それでも踏み出す覚悟がなかなかできないんだから、それでもなんとか生きている人って尊いでしょ。

もはや人間国宝でしょ。まじ私的世界遺産です。大仏です。

いやぁ、本当に人生って面白い。

筋書き通りになかなかならなくて、まじ面白い。

そうやって思いながら、これからすいもあまいも味わいながら生きていきたいですね。

この文章を読んで、社会人ペーペーの若造がほざいてらぁと思った貴方。

その感情こそが生きている証です。

これからも一緒に生きていきましょう。

終わり方分からないので、今回はこんな感じで失礼しやす。

では、また。