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ワンダリルラと虹ノ湊の比較からみる類似性について

ワンダリルラこと「wonder little love」が好きだ。
曲調から歌詞からMVからパフォーマンスから全てがよい。
MVが公開された日から毎日MVを見ている。Twitter上では立派なワンダリルラはいいぞおじさんになっている。そろそろやめようとは思うのだが、なにせMVを見るたびに5個くらい新しい好きポイントが見つかってしまうのだ。
何度見てもキレイなものをたくさん詰め込んだ結晶体みたいな曲である。集めたキラキラしたビーズをずっと眺めていた子供の頃の気持ちが甦ってくる。

MV初見時に衝動的に書いた感想(よりも少しねっとりしたもの)は以下の通り。

先日、モリシア津田沼でのリリースイベントでパフォーマンスを初めて見た際に、イントロで6人が折り重なって寝そべって始まる様子に既視感を覚えた。
そう、ばってん少女隊の「虹ノ湊」である。
ukkaの最高な曲がばっしょーの最高な曲に似ている!この発見は私に興奮をもたらし、久々に「虹ノ湊」の映像を見返したところ、幾つかの共通項に気づいた。
ここではこの2曲の比較を通して、「最高の楽曲」たらしめる理由の構成要素の分解を試みていきたい。


パフォーマンスの共通点

MVでは風景や複数箇所のカットが入ることにより、ぱっと見の共通点はあまり感じられない。
一方で、リリイベやライブといったMVから離れた環境では、演者のパフォーマンスにより注視することになる。そこではよりメンバーの動きやフォーメーションに意識が行き、新しい発見がある。

始まりの寝そべり

導入に書いた通りであるが、悲しきことにMVでは一瞬で過ぎ去ってしまう箇所である。
生のパフォーマンスの際はフォーメーションについてからイントロが始まるまで、このポーズでMVの数倍の時間を静止することになるため、より印象強くなる。
それ故、特徴的なフォーメーションで始まる曲に対して「このフォーメーションは〜??」と観客側が言いたくなるのも道理である。
メンバーが全員寝ている→起き上がるという動作は、これから物語が始まるという分かりやすい示唆であり、「かぎかっこ」の始まりを表している。

イントロ前の至福の時間である

ひょっこりと覗き込むメンバー

「虹ノ湊」のMVを初めて見た際、最も印象的だった箇所である。
「虹ノ湊」では柳美舞ちゃんが春乃きいなちゃんの後ろからひょっこりと顔を出し、そこから縦一列に並んでいた6人のフォーメーションが逆三角形に展開していく。
上手・正面・下手のいずれから見ても美しい展開の仕方なので是非注目してみてほしい。
「wonder little love」では葵るりちゃんが茜空ちゃんの後ろから顔を覗かせて囁き、曲の終わりへと収束していく。

ポーズが似ていることに加え、このシーンでは歌詞にも注目したい。
「虹ノ湊」では美舞ちゃんは「人生がもし2回あるのなら」と歌を紡ぐ。
新メンバーとして入った彼女の伸び伸びとした歌声、堂々としたパフォーマンスは、当時「本当に中学生⁉︎」と思わせる姿であり、「美舞ちゃんは人生2周目なのでは」とつい思ってしまった人も多いであろう。
しかし、歌詞は「そうじゃない」と続いていく。美舞ちゃん自身によって否定されるのだが、このアンチテーゼが美舞ちゃんがこの歌詞を歌うという行為を強調しているように感じるのだ。

「wonder little love」ではるりちゃんが「ワンダリルラ」とウィスパーボイスで歌う。
「るり沼」という言葉があるくらい、るりちゃんのフックは強い。
一番最後は全員で「ワンダリルラ」と囁くのだが、その前に一人で囁くという行為は、るりちゃんの“あざとかわいさ“を強調する役割を果たしているように思う。ちなみに初めてMVで見た時、あまりのかわいさに「ヒエエ〜〜」と声が出た。

覗き込み方にもキャラが出ている

1人をみんなで囲む

これは正直、他の楽曲や他のアイドルグループでも見受けられるフォーメーションであるが、好きなので書く。
「虹ノ湊」ではきいなちゃんが囲まれ、「wonder little love」では空ちゃんが囲まれる。
2人とも右手を掲げるという共通項がある一方で、歌詞を歌い上げるスピードが対称的なことにも注目したい。静のワンダリルラ、動の虹ノ湊である。

囲むメンバーの動きっぷりの対比にも注目

最後にわちゃっと集まる

わちゃわちゃっと集まる姿はアイドルグループの醍醐味である。
厳密にはukkaは一度集まった後、少し広がってポージングをとった上で曲が終わるのだが。
くるくると様々なフォーメーションを展開した最後にメンバー全員が集まる姿は、まるで集合写真のようである。物語の「かぎかっこ」閉じを思わせる。

「かわいい」の密度

以上に挙げたように、印象的な部分においてこの2曲は共通項が多い。
曲の印象深い部分が似通っていることで、両方の曲に対して、一つの物語を読み終えた満足感のような同種の感情が呼び起こされているのだ。


歌詞に見る対称

パフォーマンスの類似点が多い一方で、歌詞に着目するとまた違った世界が見えてくる。
目で見た場合と耳で聞いた場合で、この2曲に対する印象は大きく変わるのだ。

具体性と抽象性

「虹ノ湊」の曲中では、ばっしょーはどこまでも【具体的】な光景を歌う。
「都会より澄んだ空気」にある明確な比較対象や、「駅前の露店」「3号線」といったイメージしやすい場所(MVでは「3号線」の部分で箱崎にある国道3号線の標識が映る)が登場する。「宿題はやらなくてもいいや」という歌詞も、等身大の中高生を想像させ、当時の自分自身をリアリティのある空気感を伴って思い出させる。
現実世界に生きる「今」を濃度高く、それでいて爽やかに表現している。

一方で「wonder little love」には【抽象的】な表現が詰まっている。ukkaの魅力ここにありけり。
それを象徴するのが「幻想譚」という創造された単語。「譚」自体が「はなし・ものがたり」の意味を持つため、「幻想譚」はある種の重複言葉だ。面白いのは、「幻想」と「譚」という同類の言葉を重ねることで、強くなるはずの輪郭が逆にふやかされているように感じるところ。不思議に不思議を重ねる効果だろうか。
「夢見るポートレート」「生まれたての季節」は、一般的には生き物に付与する形容動詞が静物・現象に装飾されている。
「透明な恋」「タイニーハート」は、MVで川瀬あやめちゃんが手でかたどるハート以上に上手く表現することは果たして可能だろうか?
ukkaが歌い上げる言葉は、手に掴もうとした途端するする抜けていくが、きっと誰もが持つ心象風景のキレイな部分を丁寧に掬い上げてくれるのだ。

季節、時間、場所

この2曲はより分かりやすい対比軸も持っている。
「虹ノ湊」は夏の曲である。「肝試し」「駅前の露店」「花火」と夏を彷彿とさせる単語が歌詞の中に散りばめられている。そもそも「夏は異常」「Feeling summer night」と“夏“というワードそのものが含まれているため、この曲が夏をイメージしていることは明らかである。
且つ、これらのワードは同時に“夜“の時間帯も想起させる。(MVが明るい日差しの中なので、視覚的には分かりづらいが。)
また、「自転車のペダル」「砂浜の公園」といった言葉たちは、屋外の光景を彷彿とさせる。

一方で「wonder little love」は春の曲のように思える。「クローバー」は春の季語であるし、「木漏れ日」は夏とも捉えられるが、ukkaの曲の爽やかさを加味すると春〜初夏あたりの緑風を伴うキラキラしたものが近いのではと思う。
「朝露」という明示的な言葉に加え、「芽生えてゆく」「うまれたて」といった言葉が始まりの瞬間を予感させることもあり、この曲の時間軸は朝であると考えるのは不自然ではないだろう。
また、歌詞からは外れるが、MVが全編屋内で撮影されていることが、この曲の神秘性やメルヘンな雰囲気に寄与している。

このようにこの2曲の違いに着目すると、その違いは単なる差分というよりは対称的な存在であるように思える。
歌詞では真逆が表現されていることで、パフォーマンスを見た際の共通項がより一層際立ってくるのである。
その結果、全く違う曲であるものの、近しい読後感を生み出しているのであろう。

論考としてはあまりに緩やかではあるが、この帰結としては「ワンダリルラも虹ノ湊もどちらもいいぞ」なので、そこはご容赦いただきたい。

結論:どっちもいいぞ

当時300回目くらいの恋をしたりるあちゃんを添えて


参考:
ukka「wonder little love」Music Video
ばってん少女隊『虹ノ湊』× 360 Reality Audio -Music Video-


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