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いつか誰かにどこかで

こんばんは!

この冬休みは、哲学に浸りたくて、書店にて「いま、世界のが哲学者が考えていること」(岡本裕一朗、ダイヤモンド社)を購入し読んでおりました。

そこでたまたま「新実存主義」の旗手として、マルクス・ガブリエルの名前が挙がっていたので、気になって二日連続で本屋に走りました。

妻からチベットスナギツネのような目で見られましたが。

さて、僕は元来「哲学」というものが好きです。

好きというよりも生まれてこの方、ずっと「自分とは何か」という問いに対しての答えを探し続けているといっても過言ではありません。

そうして、生きていると答えは見つからないどころか、砂上の楼閣のように、日々の生活に埋没しようとしていくのです。


一つ確実にいえることは、「僕は何者であるか」を遺して死にたいと思ったから、教員になったということでしょう。



文学との出会い

高校時代、僕は野球部に所属していました。

僕たちは弱く、「目指せ甲子園」なんて言葉は、恥ずかしくてとても言えません。

ただ目的もなく、根拠のない自信と未来への底知れぬ不安を抱えながら日々をぼんやりと過ごしていました。

The 思春期ボーイとでもいったところでしょうか。

当然そんな状態ですから、社会や大人のいうことなど、耳を貸すはずもありません。

しかし、いまだに忘れられない授業があるのです。


高校2年生の6月、梅雨が明けようとしている頃。
蒸し暑く、授業など受ける体力も残っていないほど疲れ切った午後。

老女先生が授業を始めました。

普段なら、間違いなく午後の練習に備えて眠っていたでしょう。

その日に限って眠れなかった私は、ぼんやりと先生の声をBGMのように聴いていました。

すると、

「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を発しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。」

という言葉が耳に突き刺さるようにして飛び込んできました。

その瞬間、私はとてつもない感情に襲われたことを今でも鮮明に覚えています。恐怖とも、後悔とも、憐憫とも取れない非常に複雑で言語化することもままならない感情でした。

その瞬間、私は李徴であり、中島敦であったような気さえするのです。

僕は、文学に出会ってしまったのです。

そこからは、「自分」や「人間」について書かれた文学にのめりこむようになり、気が付くと文学部などに所属し、いまだに国語教員として働いていることから、その時の私の衝撃が計り知れるでしょう。

ある意味で僕は文学によって人生を狂わせた人間といってもよいかもしれません。


教員になったワケ

文学に傾倒した私は、将来についてより一層の深い悩みを獲得することになります。

好きだからこそ、あえて言いますが、文学なんて読むものではないのです

みんなズタボロになってしまうんですから性質が悪いんです。
第一、すぐに病みますしね

退廃的な生活というのは、すぐに私の心身になじみました。

もとより人間の出来が悪いので、深みにはまってはまって、やっとこさ抜け出したときに、「自分の存在を確固たるものにする」ということが、自分の本当にやりたいことだということが見えてきました。

そのために犠牲にした肝臓には心苦しいですが、彼は彼なりに今元気にやっているそうです。


「自分」とは何だろうか。
筆舌に尽くしがたいが、それはきっと言語化されるようなものではないことは明らかである。

理由は簡単だ。答えが他者に依拠しているからだ。

僕という人間は、僕が思う心の奥底にある「内なる僕」である。
彼は僕を僕たらしめ、僕が僕でないことに耐えられず、この世のものとは思えないほどの憎しみを表す。

他者との境界線に生きる我々「僕」は、他者の目が自分の思い描く「僕」ではないことに苦しみ、時には自ら死を選んでしまう。

しかし、それは当たり前のことなのではないだろうか。

「僕」は他者を思うとき、「僕」の目線から見る。
「僕」を扱うように他者を扱うことはあり得ない。

別物であることが自明の理だからだ。

つまり、「僕」が他者を理解するために解釈するのと同様に、「他者」の目線に立ち現れる「僕」がそこには存在する。「外なる僕」とでも呼んでおこう。

この「内なる僕」と「外なる僕」の集合体が自分なのである。


と定義してみましょう。
「僕」は、自分の中にある「かくありたい願望」を持って生きていると仮定します。

人から好かれたい、格好よくなりたいなどの願望のことです。

こうした願望を抱いている「僕」が、「他者」というフィルターを通して、解釈されるわけです。

つまり、「僕」は「他者」の中に存在しているのです。

正確に言うと、「僕」は「他者」に解釈されることによって、世界に存在が立ち現れるということです。

僕は、こうした「僕」の存在を確固たるものにするために、教員になったのかもしれません。

あるいは、教育という有史以来の営みに、「僕」という塊を投じたくなったのかもしれません。

教育は、永遠に影響を及ぼすのです。

僕は老女先生を初め、沢山の先生方の要素を受け取って今教壇に立っています。

きっと先生方もそうだったのでしょう。

また、これから先生になる人々もそうなっていくのです。

もしかすると、僕という人間が、百年後の誰かに伝わることもあるかもしれません。

そうなってほしいと心のどこかで願っているのかもしれません。


この仕事を選んだのは、きっとそういうエゴの塊から。

しかし、この仕事は楽しいですよ。人間作ってますからね。
少し傲慢なのは、深夜の寝不足だと思っていただけると幸いです。

下書きもなしでがっつり書いちゃいましたから、支離滅裂な箇所があれば教えてください!

肝臓に強く言い聞かせておきます。




#この仕事を選んだわけ

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