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名刺代わりの小説10選ミニコメント - ブックレビューにあたって

はじめましてstrayPineといいます。これからnoteに本の感想を書きます!何から書こうかな〜と思っていたのですが、考えてみるとこいつがどんなものを読んでる読者なのかさっぱり検討がつかないと思います。
ということで、とりあえずの自己紹介が必要ではないかと思って自分のツイートを遡ると、以前にこのツイートで好きな本を挙げていました。

ここで挙がった作品たちについてどうして好きなのか、とかを簡単に書いておけば自己紹介がわりにはなるかと思います。
ぱっと見るだけでミステリとホラーばっかり読んでいる偏りっぷりは一目瞭然ですね(ᗜᯅᗜ )

ちなみに何で海外作品をアルファベット表記していたのか思い出すのに時間がかかったのですが、The A.B.C. Murders を「ABC殺人事件」と書きたくなかったせいでした(後述)。

ツイートでは作者名50音順に書いていたのですが、下記では発表年順にします。


The A.B.C. Murders/Agatha Christie (1936)
(「ABC殺人事件」田口俊樹訳 他)

"騙しの精密機械"アガサ・クリスティー(私が勝手に呼んでる)の最高傑作。
クリスティーは基本的に誤解されているといってもいい作家で、コージーミステリの名手(そんなものはほとんど書いてない)とか意外な犯人を多く創出した(間違いではないですがごく一部に留まる)と雑に認識されていることが多いです。
クリスティーのミステリ作家としての本質はミスディレクションにあります。これはどういうことかというと、「犯人-探偵」の物語としての構造よりも「作者-読者」といった仕掛けの構造を意図した作品ということです(いわゆる「叙述トリック」とはやや異なります)。
そうしたクリスティーの本領を最もよく示した作品が本作でして、ジェフリー・ディーヴァーに通じるスピーディで意外性を孕んだ展開を見せる都市型・劇場型犯罪を追う現代的でリーダビリティに溢れたスリラーであり、一方でその高いリーダビリティそのものがミスディレクションであるという驚異的な仕掛けを達成した傑作です。といっても本作も基本的に誤解されている作であり、ネタバレも広く流布されているのが残念ではあります。そのうえ、それは本質的なネタバレではないのが更に残念。

なお日本で一般に使用される邦題「ABC殺人事件」は本作の斬新性・新奇性を大きく損なう極めて有害な邦題であるため、ここでは原題の表記を優先しています。この作品がそんなヴァン・ダインめいたトラディショナルなタイトルをつけるべきではない作品なのは、一度読めばわかるはずです。

獄門島/横溝正史 (1948)

時代の大きな変化をミステリの構造の中に捉え結実させた、奇跡的な完成度の現代本格ミステリです。
横溝正史というと土俗!因習!怪奇!という印象がつきものです(市川崑が悪い、とむかしは思い込んでいたのですが映画化されたのはずっと後なのでこれは濡れ衣でした)。
私は昔そんな先入観を持ちながら本作を読んで、内容以前に文章が現代的なことに驚きました。でもそれはある意味当然のことで、なぜかというとこれは海外の優れたミステリ(つまりクイーンやクリスティーあたり)の作風を強く意識しつつ書かれた、1940年代後半の現代本格ミステリだからです。
旧い時代を切り取った異界とも言うべきクローズドサークルと、現代を呼吸する探偵・金田一耕助の衝突によって生じるのは、この時代でしか成立し得ないクローズドサークル崩壊のお話です。これは時代の大きな転換をミステリという形でこの上なく見事に描いた作品なのです。
この作品の発想の大本はクイーン「Yの悲劇」であるのは間違いないのですが、その作品については横溝本人はとある理由で「好かんのですわ」と語っています(「横溝正史読本」での小林信彦との対談より)。それは薬剤師でもあった横溝らしいものであり個人的にも好ましいのですが、そうした観点を持ってイカれた一家のお話をイカれた島のお話に移し替えたのが本作と考えると、ダイナミックに時代性を取り込む事によってそれを成立させた手腕には驚異的なものを感じます。古典という枠に留まらない傑作。

忍びの卍/山田風太郎 (1967)

山田風太郎は時代の先の先のまた先をぶっちぎったバケモノ作家です。忍法帖シリーズや明治ものシリーズが著名なため伝奇作家と認識されがちで、いやいや「妖異金瓶梅」や「十三角関係」「太陽黒点」といった本格ミステリもある山田風太郎の核はいつもミステリにあります(最後の長編「柳生十兵衛死す」だって、柳生十兵衛を殺したのはだれか!?というフーダニットですからね)。
というわけで、忍法帖の中でもミステリとしての最高傑作が本作です。今回発表年を記載してみてあまりに昔の作品なのに唖然としたのですが、更に恐ろしいことに内容も現代ミステリに通じる仕掛け、ぶっ飛んだストーリーと設定の史実への巧妙な融合、その2つの要素の生み出す強烈なイヤミス的後味、と現代ミステリと比較してもほとんど遜色のない完成度とインパクトを持った作品となっています。
とはいえ忍法帖シリーズの中では道具立ては地味だし陰惨だし暗いし、あとシリーズ中でも特にシュールなエログロ色が強いし、と傑作ではあるものの忍法帖シリーズ初見という方にはまったくオススメできない作品であるというのも凄い一編です。

Pet Sematary/Stephen King (1983)
(「ペット・セマタリー」深町眞理子訳)

私の読書遍歴の出発点はスティーヴン・キングのアメリカン・モダンホラーです。確か映画化で売り出されていた「ドリームキャッチャー」を小学生の頃に読んだのが最初。やたら面白かった記憶があるので「ドリームキャッチャー」を改めて読み返してみましたが、あれはどう考えてもおっさん小説です。なんであんなの小学生が読んでんねん。
さてこの「ペット・セマタリー」ですが、これもある種のおっさん小説であり、成人男性が身につまされるお話です(たぶん)。それホラーなの?と思うかもしれませんが、キングのモダンホラーというのはホラー的道具立てを通した現代の人間ドラマなので、バケモノがウガウガすることよりもそれに関わる一般人の人間模様にこそ読みどころがあります。というのを初めて意識したのが本作です。バケモノももちろん見どころではあるのですが。
平和な一家が越してきた地には死者の蘇る「ペット霊園」が!というわけで要はゾンビ話なのですが、強烈に描き出されるのは人間の脆さというかあさましさとでもいうものです。初めて読んだのは小学生の頃だったのでそのあたりはピンときていなかったのですが、歳を食ってみるとこの作品は他人事でない(かもしれない)のっぴきならなさを突きつけてきます。
で終盤にはバケモノ大暴れの巻も交えつつ静かにイヤなラストシーンへと至るのがある種のダメ男のドラマとして非常に秀逸です。ダメやなーこいつまた、と思わせつつやっぱり他人事でないかもしれない感があり印象的。
映画版はよりダメ男の顛末的に処理されたラストシーンがある種痛快でもあり、そこからラジー賞に輝くラモーンズのノリノリのナンバー(公開当時並みの表現)に繋がるところに初見で爆笑してしまったのですが、彼らの歌うこのフレーズが、このお話の全てを表しているようではあります。

I don't wanna be buried in a pet sematary
I don't want to live my life again

Ramones – Pet Sematary

埋められるほうのこともちゃんと考えなあかんでというわけですね。そういえば初読時の私は子供だったから、こっちの視点で読んでいたのでした。

スメル男/原田宗典 (1989)

このリストの中で明らかに浮きまくっているミステリでもホラーでもない作品ですが、実は私の読書の原体験、また文章のクセの原点のひとつが原田宗典であるため個人的に重要な作品です。
家に転がっていたんだかブックオフかどこかでなんとなく買ったんだか記憶は永劫の彼方なのですが、ともあれ小学生の頃に読んだのが原田宗典のエッセイ集でした。
当時の私にとって「活字の本でお笑いを書いてるおっさんがいる」というのは刺激的であり、衝撃的であり、果てはお気に入りのウンコ関係のエピソードを家で大声で朗読してシバかれるに至るのです。
とか言って挙げているのは当のエッセイ集ではなく小説本のこちらなのですが、何故かというとそのエッセイ集がどれだか忘れたからです。というのはウソで、エッセイも小説も色々読んだ中でもっとも印象に残ったのが結局は代表作たるこの作品だからです。なお当のエッセイ集がどれだか忘れたのは本当です。

さて、原田宗典は小説とエッセイの作風が全く違う作家といわれます。そこで本作を読んでみると確かに全く違う、いややっぱ似てる、いや考えてみるとだいぶ違うなと二転三転する印象を持たされます。
無嗅覚症に陥った主人公の体がとあることから災害級の異臭を放ちはじめるというヘンな設定がインパクト抜群であり序盤はかなりお笑いテイストが強いのですが、次第にその物語は痛みや切実さ、喪失感を伴った青春物語へと転化していきます。このコメディ性ギリギリの独特の苦さは非常に印象的で、お笑いもシリアスもいける作者にしか描きえないものになっていると思います。
なお作者の他作では、痛みをもった青春小説として「十九、二十」、皮膚感覚的な「イヤさ」を乾いたタッチで描くホラー/奇妙な味小説として「どこにもない短編集」が印象に残っています。あれ、エッセイ集は?

リング/鈴木光司 (1991)

ジャパニーズ・モダンホラー(と私が勝手に呼んでるジャンル)の原点にして未だに頂点の一角。
私の日本のミステリやホラーの読書遍歴はこれが最初です。
映画版が有名すぎるためそれが大きなバイアスとなってしまっているのが難点なのですが、そちらとの大きな違いは"呪いのビデオ"(……とは作中で呼ばれません)の内容を細かに検証して真相へ迫っていくミステリ性の高さにあります。
「見ると死ぬビデオ」というスーパーナチュラルな存在を認めたうえで、その内容から論理的に犯人やその動機を解明していく・・・・・・・・・・・・・・。というと変な話のようですが、こうした論理性を現実性から切り離すという1990年代以降の日本ミステリ/ホラーの流れの先駆けの一つが本作であると思っています。
麻耶雄嵩や小林泰三の、論理的でありながら非現実的、という作風はこの流れの中にあるのではないでしょうか。

それと重要なのは本作が幽霊がウラメシヤする怪談話ではなく、都市と現代的ガジェットを背景にしつつ黙示録的恐怖を描くモダンホラーである点です(本作での山村貞子が日本の怪談によくあるような幽霊と異なり、スティーヴン・キングが好んで書いたような「強大な力を持つ不幸な超能力者」であることを見逃すべきではないでしょう)。あくまで怪談話/都市伝説の延長に置かれるお話である映画版との最大の違いはここにあります。
本格ミステリが特異な発展を遂げた日本で、それも怪談話ではなくモダンホラーを書くとするなら、ミステリの意外性や論理性を恐怖の核におくのは当然のことだった、のかもしれません。
ミステリとしての印象的な反転と作者特有のマッチョイズムが結びつき、今まで見てきた世界観が崩れさるようなクライマックスには圧倒されます。

あと、どうでもいいけどこの作品の文庫版は見るたびにカバー絵が変わっている気がします。何種類カバーあるんだお前。ある意味作品内容にはマッチしてるのですが。

慟哭/貫井徳郎 (1993)

社会派推理小説という実態のないジャンルに、本格ミステリとしての一つの強烈な答えを示した重要作。
自分が生まれる前のことなのでよく知らないのですが、その昔は松本清張らの影響で「ミステリでも人間を描かなくてはいけない」という風潮があったといいます(この手の言説は誇張される事が多いのでどこまで真に受けていいのかわかりませんが)。
その時代を一切生きていない側からすれば、リアルな人間を描くことなくミステリを書く、という作風を取る多様性くらい認めていいだろと思うのですが。とはいえそれは別の話。

ではミステリにおいて、人間を描くというのはどういうことなのでしょうか。じつは「社会派推理」はこの答えを見つけられないまま実態としては風俗小説と化していったのではないか、と私は思います(あくまで個人的な感覚ですが)。私の知る限り「人間を描く」と「ミステリ」を必然性をもって結びつけた作品は、松本清張を含め誰も書けていなかったのではないかと。

さて、この作品で貫井徳郎がやったようなことが、「ミステリ人間を描く」ということです。
本作で描かれるのは連続幼児誘拐殺人を追う捜査チームと、心に空いた穴を埋めようとカルト宗教に耽溺していく男。それぞれに人間の破滅を感じさせながら進む2つのパートは終盤において衝撃的な"つながり"が明かされるに至り、そのまま奈落のような幕引きへと進んでいきます。
幼女誘拐殺人にカルト宗教、書かれた時代を考えれば「アレとアレがモチーフね」とわかるのですが、貫井徳郎が本作で描こうとしたのはそうした社会問題よりも、2つのパートが結びつくことで突きつけられる人間心理の不可解さ、弱さ、脆さであると思います。これをミステリ以外の小説では描けないとは言いませんが、これほど鮮烈かつ印象的、そして説得力をもって表現できるのはミステリだけであると断言していいでしょう。
こうしたミステリでしか描けない人間性というもの、これを描くのが本作の提示した現代のミステリの一つのあり方であり、現在まで続いている流れであると思います。

悪意/東野圭吾 (1996)

1980年代から90年代の期間における、日本で最高のミステリ作家は東野圭吾だと思っています。アイデアの独自性、プロットの巧妙さ、そしてシニカルな人間性への洞察といった特質をあわせもち、まさに次世代の山田風太郎となりうる作家であったと思います。

さて、本作はホワイダニットを中心に扱ったミステリです。犯人は早々にわかってしまい、問題はなぜやったかだけになります。
「逮捕された犯人が黙して語らない動機」というのは本作を含めて時折見られる題材ですが、めぼしいところを思い出すと「感動作」として知られるものがぱっと思い浮かぶ所。では本作はどうかというと……。東野圭吾は、少なくとも当時の東野圭吾は、極めて冷酷かつ理知的といっていい作家です。感動路線に流れるかというとそうはいかない。
本作の構成と仕掛けは、根っこのところはクリスティーの某有名作をアレンジしたものと考えて良いと思います。しかしその極めて特異な扱い方により、二転三転するホワイダニットというなかなか稀有なプロットを作り上げています。それと同時に、「なぜ殺したのか」だけではない「なぜそんなことをしたのか」に至る人間性の闇を見事に描き出している、これもまたミステリでしか描けない人間性を描いたミステリなのです。
人間性を冷徹に見据えたような真相と、さらにそれを暴き出す情け容赦のない解明の姿勢、といった徹底したクールさが作品全体を覆っている感があり、その点も印象深い作品です。

Angels Flight/Michael Connelly (1999)
(「エンジェルズ・フライト」古沢嘉通訳 / 別題「堕天使は地獄へ飛ぶ」)

コナリーはハリー・ボッシュシリーズの初期から警察小説・都市小説的な意匠の中に本格ミステリの仕掛けを凝らして見せてきた作家で、初期作では特に「ブラック・アイス」の終盤に至ってとあるテーマの本格ミステリとしての正体をあらわす点が強烈なインパクトがあり印象に残っています。

この「エンジェルズ・フライト」は本格ミステリでありつつ現代アメリカ小説の傑作でもあります。
本作の結末では「ブラック・アイス」ほどモロではないものの、あるテーマの本格ミステリとしての反転を鮮やかに決めて見せるのですが、問題はその後の展開にあります。
ミステリというのは混沌から秩序が回復する様を描く物語、という一面を持っています。が、本作の結末に表れるのは、回復されたかに見えた秩序を丸呑みにする巨大な混沌です。それはその混沌を生み出すアメリカ社会の闇を描いたものでもあります。
ミステリとしての反転からこの結末へとつなげてみせる、いわば確信犯的やり口には、コナリーの持つ本格ミステリ作家としての自覚と、それに伴う現代本格ミステリに表現できることを社会的テーマと接続して見せる大胆さを見ることができると思っています。それは今のアメリカを見るとより凄みとなって迫るものでもあるのではないでしょうか。

ずうのめ人形/澤村伊智 (2016)

ジャパニーズ・モダンホラーの最前線、最先端。
澤村伊智は日本の作家の中では稀有な、ホラー作品における土俗性を完全に切り離した、または相対化した作家です(それは作中における一見日本の土俗的存在に見える「ぼぎわん」という名称の扱いに象徴されています)。
私はアメリカンモダンホラーとホラー映画を見て育ったので、因習にまつわる怪談話というものにさほど心惹かれません。
という所で澤村伊智のデビュー作「ぼぎわんが、来る」を読んだ時は興奮しすぎてアホみたいにはしゃいでしまったのですが、それはタイトルから想像されるような土俗性、因習話といったドロドロした衣装をブン投げて、猛スピードで展開するノンストップサスペンスモンスターパニックバトルアクションホラーミステリというとんでもない作品だったためです。
そうした土俗性のなさ、モダンホラー的な特質は例えば「予言の島」あたりによく現れていると思います。

さて、澤村伊智の現状での最高傑作はその「予言の島」か「ずうのめ人形」だと思うのですが、ここではホラー色のやや強いこちらを選んでいます。
しかし、本作は単純にホラーと言うにはあまりにも完成度の高いミステリです。
「ぼぎわん」で既に人物像の反転を伴うミステリ的仕掛けは見せていましたが(というかあれは本格ミステリそのもの)、本作はミステリの仕掛けを中核に置くことで大きな進化を遂げているのです。
本作は一種の「オバケ退治」のお話ですが、オバケを退治するにはオバケの弱点を知る必要があります。お祓いやエクソシストだとお祈りでどうにかすることも多いですが、お話としてはなぜオバケが退治できるのか納得感があったほうがいいですよね。こういったところにオバケ退治話とミステリの親和性があります。古い例だとリチャード・マシスンの「地獄の家(ヘルハウス)」がまさにオバケの弱点を探って退治するお話で、実際読んでみるとその退治のしかたはどうなんだとはなるのですが、単にお祓いするだけよりその緊迫感と納得感は段違いです。
本作は、そうした「オバケをどうやって退治するのか」をずば抜けたミステリセンス・技巧によって描いた傑作です。
終盤、ホラーとしてのカタストロフが大迫力で襲い来るなか(この描写力も圧倒的にすごい)、このオバケはどうやったら退治できるのかと状況は混迷を極めていきます。
そこに突如として放たれるのは思いも寄らない方向からのシンプル極まりない一撃、あるいは「その仕掛けだったの!?」なサプライズ。その一撃の破壊力が文字通りオバケを退治する破壊力としてそのまま作用するのが非常に痛快。
先述の「その仕掛けだったの!?」という感想の通り、これは「その仕掛け」を知っている人、つまりミステリを読み慣れている人に向けて堂々と書かれた作品であると思います。
ホラーとミステリを融合させた作品として、間違いなく近年の最高傑作の一つです。これも大興奮しました。はしゃぎました。


……えっ!?こんなに書いたの!?

ということでひとこと感想のつもりがやたらと長くなってしまいました。
とりあえず、自分はこんなものを読んできたし、こんなことを考えてきたというリストでした。今後もこんな感じで感想を書いていきますのでよろしくお願いします。

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