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そろそろ自己紹介☆私の職業

 web関係のお仕事の方から「noteやってみたら?」って言われ
まだまだnoteのコトよく勉強しきれていないまま、とりあえず書いてみようってことではじめました。・・・
ログインできる日もできない日もあり、どなたかに不愉快な思いさせているようなことになっているならごめんなさい。がんばってnote学びます。

 さて、実は自分自身のこと知ってもらう自己紹介を記事にしたいなぁ。とは思ってはいましたが、なかなかまとまらなかったんです。なんせ、そこそこ長い人生を歩んできましたから。だけど一度に書く必要ないんですよね。思い出したこととか思いついたことを思い出したときや思いついたときに書いていくことにしましょう。

さっそく、今日は私の仕事について書きます。

藁書家苓醒・最初は毛筆を持っていた。

 ここでは「藁書家」という肩書き。だけど藁書家はでまだまだ駆け出しで、藁書家ではご飯は食べれません。
実は私は教育書道の指導者。お習字教室の先生なのです。18年目です。

 私は5歳の時から習字教室に通っていました。小学校高学年で塾が忙しくなっても、中学生になって毎日部活があっても通いました。なぜ習字を辞めなかったのか?特に理由はありません。ただ当時の私には「やめる勇気」がなかったのです。小さいころから母にいつも言われていました。「あなたはひっこみじあんで目立たないし、将来、世当たりがうまくできない。何か一つ手に技術を持っていると役に立つことがあるよ。」って。
 習字は好きというわけではなかったと思うけど、習字を辞めたら私にはいったい何があるんだろうという不安がありました。高校生の時に師範を取得しました。社会人になって定期的に通えなくなりましたが、ときどき教室に足を運びました。しかし年々仕事が忙しくなり、だんだん期間が開いてくるようになり、そして、結婚、出産・・・。私の生活の中から習字が完全に消えました。その間に、恩師も他界されました。もう習字をすることはないなぁと思っていました。
 しかし、まもなく私は再び筆を持つことのなったのです。「お姉ちゃん、小学校に通う息子に字を教えて。」妹の依頼で甥っ子に教えることになりました。まったく違う業種のパート主婦だった私は土曜日だけ先生になりました。六畳間で甥っ子となかよしのお友達。すると近所の子どもたちが集まりだして気が付けば六畳間一回6人を二回転する教室になっていました。
 これが現在の私の習字教室、6会場生徒100人の原点です。これが今のわたしの主な業(なりわい)になっています
書道の雅号は「静湖」といいます。そして藁書の雅号は「苓醒」です。

名刺用

なぜ同じ書家に雅号がふたつ?

って思われた方もいらっしゃるでしょう。これは単純に「師」が違うからというわけではありません。
藁書と書道は全く別ものと私は思っています。伝統的な書道という「道」にはしきたりやルールのようなものが当然あります。近年、書道家と名のられていらっしゃる方の動画などの中には目を覆いたくなるようなルール違反がたまにあります。「これは書道ちゃうやん」っておもわずツッコミ。世の中いろんなことが緩和され自由な表現もどんどん受け入れられています。良いことではありますね。ただ私は書道の伝統も後世に伝えていきたいと思っています。書道は何千年という歴史があります。ここ数年で全く別の認識のものになってしまわないといいなぁと本気で思っています。書道家と名乗る方はしっかりと歴史と伝統と技術を背負って活動していくべきだとわたしは思います。本当に書道を学ばれたことがない方は「書道家」ではなく「書家」と名乗ってほしい。と、あくまでも個人的なゆるーい考え方です。書道舐めんなよ!って思うこともたまーにあったりなかったり(笑)。実際に私は45年筆を持っていても書道家と名乗るにはまだまだ勉強不足で恐れ多いと思っています。書道は本当に歴史がある分、奥が深いです。わたしはその入り口で子どもたちをはじめ、ご高齢の方まで正しい書道を「静湖」として伝えていき、伝統ある墨と和紙、そして大地の恵みの藁筆を使った自然の調和である藁書を藁書家「苓醒」として自由に表現し発表していきます。

あ、最後に付け加えます。子どものころはひっこみじあんで目立たなかった未来の苓醒は、若いころは活動的過ぎて、今はおしゃべり大好きでにぎやかな大人に成長してます。いまだ成長過程ですので次の未来はどんな「苓醒」になるのか楽しみでしかたがない(*´艸`*) でしょ?
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