「書いて残すこと」の大切さ

インターネット休養明けとか病み上がりとかそういう言いかたが自分の中ではしっくり来てるんですけど、そんな感じなのでTwitterも様子見というかならし運転というか、ほこりかぶってた自分の家を掃除してちょっと人が住めるくらいにしておくか・・・という気分。

自分が4年前くらいに書いてたnoteの記事読み返すといまより語彙力あるし(ポエムばっかだけど)、読み返してたらあー自分って当時こんなこと思ってたんだな!と気づかされてびっくりする。

これとか。タイトルポエムすぎて恥ずかしいんですが・・・ww
「ハイハイにずっと5人でいてほしい」っていう気持ちはいまも当然変わってなくて、それ自体はもちろん忘れたってことはないんですよ。でも当時なにをどういう風に感じてどんな心の機微があってそう思ったのか、当時の自分が「覚えてる!?」っていまの自分に話しかけてきたような気がしてはっとした。最近とくにこれに近いことをよく考えているので・・・

Twitterもログが残らず本格的にインターネットという大海の藻屑となってしまった時代だし、いま思ってること感じてることを切り取ってしっかり保存しておくの大事だなあと改めて。はてブロ全盛期からしたらもう長文を書くことっていまどきではないのかもしれないけど。
地味に現場に行ってた記録とかは内々に自分メモとして書いたりはしてるんですけど、はてブロとかnoteとか、こういう不特定多数の人が読めるような場所で書く文章って自分のなかではちょっと書き方の意識が違ってて(現場記録は超絶脳直で書いてるので)、でもひさしぶりにちょっと外向けの文章書きたいな~という気持ちが出てきた次第。こう思えるようになったのはまたジャニーズ見るようになって1年くらい経って、自分にとってなにがノイズになるのかストレスになるのかがわかるようになったり、自分なりに心の保ち方がつかめてきて、これならインターネットしても大丈夫かな!と思えるようになったからかな。すぐ外に出ていかないで1年くらいインターネット禁止してたの我ながら慎重すぎる・・・・もう精神を病みたくないので・・・・笑 これは誰がどうこうとか特定の誰かのせいとかではなくて、いろいろな人のいろいろな感情が渦巻いている場所だから仕方がない。今後も自分にとっての危険を察知したらすぐ避難します。

でもやっぱり、なにかに転がっちゃったとき楽しいときってなんでも自分の言質とっておいたほうが未来の自分が面白がれるのでね・・・。なんでも書いて残しておいたほうがいい!と思ってるから自分の過去ログがインターネットだけじゃなくてローカルにもいっぱい保存されています。これってなんだ?って思ったことのヒントを過去の自分が持っていたりするから・・・。

散りゆくから綺麗なんだってさ、とも思うけれど、散りゆく花びらを拾い集めてケースに入れておくのも素敵だよってことを忘れないでいたい。

さいごに、マジで書いた覚えのない文章がnoteに残ってて(noteって記事削除しても書いた人は読めるんですね。知らなかった)びっくりしたんだけど読み返すとたしかに書いたような気がする。当時の自分なかなか大事なことを書いているな・・・と思ったので抜粋。

文章を書くこと、それはなんのとりえもないわたしが唯一好きをかたちにして表現できることで、なんにもないわたしでも書くことならできる!書くことが楽しいと発見したときはほんとうに嬉しかった。
新しい場所で書き始めてから「文章好きです」って言ってもらえるたびに本当にたまらない気持ちになる。わたしは好きを文章にすることがこんなに好きだったじゃないかって。読んでもらえてわたしの「好き」がだれかの「好き」と共鳴していくことがとても嬉しかった。嬉しいことだったって思い出せた。
発信した分だけ受信できる。わたしが好きと発信したことでだれかと共鳴できる、だれかの新しい好きを生む。それはなんて素敵で感動的なことだろう。
そんなに立派な文章が書けるわけじゃないし、もっと素敵な文章を書く人はもちろんたくさんいる。はじめからたくさんの人に共感してもらいたいなんて思ってるわけじゃない。人からすごいねと言われたり特別に思われたくて書いてるわけじゃない。自分が読み返したいから書いているということが大前提だけど、でも、そんな気持ちでいても時折だれかに好きと言ってもらえたり共感してもらえるのは本当にこころがあたたかくなります。


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