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割り切れない思いと何も解決しない現実:スプリット

GW初日。
特に何もすることがない日は、基本的に朝から映画を観続けていることが多い。
今日も朝から映画を観ていたけれど、とりあえず、備忘録の感想として、今さっき見終わった「スプリット」を残しておこうと思う。
午前中にみたWOOD JOB!はまた今度。

ジェームズ・マカヴォイの驚異的な演技が、公開当時は評価されていたのを覚えている。
そして当時、既に「贖罪」でジェームズの演技力が半端ないことを知ったいたけれど、劇場に足を運ぶことはなかった作品。
気になったけれど、どうも広報の内容が魅力的には取れなかったのだ。

監督はみんな大好き(多分、嘘)、M・ナイト・シャマラン。
代表作と言えば、不朽の名作、シックスセンス。
この作品を見て、初めてブルース・ウィリスは渋くてかっこよくて、演技も素晴らしいのだと、その当時ダイ・ハード(しかも声優は野沢那智さんw)のイメージしかなかった印象を払拭した。

スプリットは女子高生三人が誘拐されるシーンから始まる。
そのうちの二人は所謂クラスでも中心にいる人物で、もう一人は地味で冴えない問題児。
そんな凸凹の三人が23の人格を保持する人間に誘拐される。
訳が分からないまま監禁されて、どうにか脱出しようと画策する女子高生。
その裏で、24番目の人格「ビースト」へ彼女たちを生贄としてささげるという話し合いをしている、中心人格のパトリシアやデニス。
「ビースト」は既に動き始めており、それがやってくる前に、監禁されている場所から脱出を試みるが・・・

個人的には、ジェームズが好きなので、ジェームズ目当てで見始めた節はあったのだけれど、やっぱりシャマラン監督のストーリーにも魅せられた。

所謂「多重人格」というのは幼少期の過酷な虐待や、受け止めきれないストレスが発生した際に、その回避口として本来の人格とは別に形成される。
スプリットのメインの人格であるケヴィンは幼少期、どうやら母親から「躾」というにはあまりにも過酷な虐待を受けたようで、それ以降人格がスプリット、分離して増えていった。

その過酷な過去を体験したことがないようなティーンエージャー達を敵視していた彼なのだけれど、それと一緒くたにされて放り込まれたケイシーは、異なっていた。

保護者からの虐待なんて誰にも言えない。
言えばどうなってしまうかなんて想像もできないのが現実だ。
虐待をされているのなら、どうして誰かの相談しないのとか、そんな質問は愚問だと思っている。

最後、保護されたケイシーの元へ、婦人警官がやってきて、保護者である叔父が迎えに来た旨を伝えに来るシーンがある。
叔父が迎えに来たから休んでいたパトカーから出られる?というような質問をされるが、ケイシーはその質問に対して一切口を開かない。
その代わり、強い意志のこもった、拒否の視線を婦人警官に投げかけていた。

ヴィレッジも、このスプリットもそうだけれど、シャマラン監督の作品にはハッピーエンドというものは存在しない。
真相を知って、丸く収まったような体をしていても、その実、よくよく考えれば誰も救われていなかったり、割り切れない思いがあったりする。

今回のスプリットもそうだった。
続編へ続くケヴィンにフォーカスすれば、そう思い悩むことでもないのだけれど、生き残ってケヴィン(ビースト)の賛辞を浴びたケイシーからしたら、何も解決していないのだ。

「事件解決」と簡易な解釈が出来る範囲ではいうけれど、その実、根本はなにも解決できていな事がほとんどだ。
質の悪い「悪」はいつまでも人目につかずのさばり、被害者はいつまでも被害者なのに強くあらねばならない。

シャマラン監督の作品からは往々にして、そういった性のようなものを垣間見ることが多い。

おしまい

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