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明瞭な世界で曖昧とニュアンスを表現する

白と黒

はっきりとしか目には映らないその二色を使うって、なかなかに知識とセンスが試されるのではないかと常々思う。
そこには視覚的な曖昧さは一切存在せず、ばつりと明瞭な線が引かれた世界しか見ること、表現することができない。

久々にこの土曜日、美術館へ行ってきた。

昨年から気になっていたのだけれど、なかなか行くタイミングがなく、結局展示期間終了1週間前となってしまった。
あ、ちなみに、土日に行かれる場合は、絶対事前にチケット取っておいた方が良い。
なぜならわたしは14時過ぎくらいに行って、20分待ちをくらったから。
計画性って大事…。笑

フェリックス・ヴァロットンはスイス出身の芸術家だそうだ。
初期の頃は木版画ではなく、著名人の似顔絵や挿絵を描いていたそうだ。
そういえば、ダリも挿絵をたくさん描いていたのを思い出した。

ヴァロットンの木版画は至ってシンプルで、はっきりとした明暗で刷られている。
黒い箇所はことごとく黒く、ムラなど存在しない、深淵のようだった。
白い箇所は当たり前なのだけれど美しいくらいに白く、何ものの侵食も許してはいなかった。

以前上野の美術館で行われていた吉田博展で衝撃を受けた、あの美しいグラデーションの版画とは真逆をひた走っていた。

様々な題材を使って版画を作成していたのだけれど、なかなかに衝撃的だったのは、死の要素を含む版画作品だった。

死体を視覚的には見せていないけれど、「暗殺」や「自殺」などは「あっ」と思うような構図になっていた。
展示会の説明文では「自殺」が取り上げられたいた気がするけれど、衝撃的だったのは「処刑」だった。
(タイトルが怪しいけれど・・・)
なんの刑かはわからないけれど、後ろ手に縛られた男が、黒服の男たちに押されて処刑台へ行こうとしている描写だった。
周りにはこれまた黒服の騎馬兵のような男たちがずらりと並び、その端に、実物でもしにきたのか、シルクハットを被った男たちが刑執行を眺めていた。

白と黒だからこそなのだろうけれど、その「処刑」の緊張感はすごかった。
きっと罪人以外の人間を黒服に包み込んだせいもあるのだろうけれど。
罪人は踏ん張る姿勢になってはいたけれど、表情がなかったがために、その心境をはっきりと読み取ることはできなかった。

展示の後半は男女の関係性を刷り出した作品となっていた。

シンプルで滑らかな曲線で、簡単に表情をつけられている作品が多いけれど、そんな表情一つとっても、とてもニュアンスのあるものばかりだった。
黒く塗りつぶされた余白は、その切り取られた一瞬よりも前の事情を考えさせてくるような気がした。

今回の展示で初めて知ったのだけれど、版画では「限定」で刷った作品の「限定」を保証するために、版木破棄証明の刷りと言うものがあるらしい。
その「版木破棄証明の刷り」は、限定で刷った対象の版木を壊し、その壊した破片で刷ったものを証明書とするらしい。
ヴァロットンは「アンティミティ」で使用した版木を破壊し、それをうまく並べて証明書兼作品にしていた。
なんて洒落た証明書なのやら。

今回のヴァロットン展では、版画の基礎である、一色を使って刷った作品をたくさん見ることができた。
眺めていて思ったのは、やっぱりモノトーンって、センスと経験が必要だってこと。

モノトーンにはモノトーンに適した構図があるのではないかと思う。
境界をどうするのか。白と黒にしたとき、何が表現されるのか。
表現したいことを考えながら版木を作らないと、表現したいこと、伝えたいこと、感じてほしいことはきっと作品には載ってこない。

ヴァロットンはそれを版画でやってのけたから凄い。
芸術家って、やっぱり捉え方とセンスがずば抜けてるのかな。

LE BON MARCHE

おしまい

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