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睡眠薬なしで眠れるようになりました。

自力で眠れるようになりました。4月10日の通院が最後になると思われます。「適応障害」の症状によって僕が見ていた世界を書き残します。

感情の損失

僕は、2019年9月くらいから体調に違和感を覚えていました。なんとなく胸がズキズキ痛む感覚です。でも、寝れば治る。自分でなんとかできる。と思い、無視し続けました。気づいた頃には、感情が薄れていきました。
無断欠勤や遅刻することに対しても何も思わなくなりました。
大学時代のアルバイトから、サラリーマン時代でも無断欠勤や遅刻はしたことありません。しこたま飲みまくって、直前までグロッキー状態であっても、職場までは必ず足を運んでいました。仕事になったかどうかは別問題です。僕一人機能しなくても仕事って回るんです。
12月になって本格的に療養期間に入ってからは本当に虚無でした。「闇」という名の「病み」でした。やみやみでした。「適応障害」の何がつらいところかというと、涙が止まらないことでした。涙が止まらないことに対して「自分の生産性のなさ」や「弱さ」に腹が立って悔しくなるという感情だけが少し残っていました。思考のはてに辿り着くところはいつも同じです。

自分なんて存在価値がない。
自らの命を絶つ勇気はないが、もっと有能な人と代われるならそれでいい。

その思考は希死念慮とでもいうのでしょうか。処方された睡眠薬や安定剤を一気飲みしようか考えたこともありました。ただ、行動に移す前にネットで調べるだけの冷静さが残っていました。最近の薬は多量摂取したところで副作用に苦しむだけのようです。
感情が正常に機能していない中では、人に会うのも億劫です。誰にも会いたくなかったです。外に出る時は、自分だと認知されにくいよう、無表情を悟られないようマスクを装着していました。まさか、今こんなにマスク不足になるなんて。こんなことになるなら、変装のためだけに使っていたマスクを大事に残しておけばよかったです。

感覚の損失

いわゆる五感がほとんどなくなりました。五感とは、視覚・聴覚・皮膚感覚・味覚・嗅覚の5つです。「視覚」はそもそも裸眼で0.1もないので論外です。使い捨てコンタクトレンズは失いました。新しいものを購入するだけの収入がなくなったので…。
話が逸れました。「聴覚」は失ったわけではないですが、ボーっとしていることが多くなったので人の話に興味がわかなくなりました。気づいたら話が終わっている感じでした。耳に届いていたとしても鼓膜は振動していない感じです。
ひどかったのは、残り3つです。まず、「皮膚感覚」です。先ほども触れましたが集中力が欠如してボーっとしていることが多かったです。すると、仕事中や家事をしているときにケガをすることが増えました。血が出ても「痛い」という感覚がなかったです。リストカットする人ってこういう感覚なんでしょうか。いや、それとはまた違うのかな。
そして、「嗅覚」「味覚」がはたらかないのでご飯を食べても「おいしい」のか「まずい」のか分からなくなりました。これが、めちゃくちゃつらいです。何せ、もともと食べることが大好きだったので。幸運なことに食欲は残っていました。食べなければお腹が空いてきます。でも、食べても何も感じないので食事が嫌いになりました。体重は5キロ以上落ちました。

回復期

結局何が一番の薬になったかと聞かれると、それは「ストレスからの回避」だと思います。自分なりの言葉やプロセスをもってして、この病気を説明してやろうと思っていましたが、結局インターネット上に溢れかえっているこたえを出してしまって恥ずかしい気持ちです。
仕事のことは一切考えず、ただ生きることだけ考えていました。ドラクエウォークをしながらスマホ上で、こころ集めをしつつ自分のこころも拾い集めていました。ドラクエがひと段落してからは、ポケモンGOに転職をしてポケモンを集めながら、自分のこころ集めをしました。あ、これですね。オリジナリティのある解決策は。適応障害で仕事に行けなくなったら、リアルとゲームの世界が入り交じった「ドラクエウォーク」か「ポケモンGO」をやりましょう。リハビリに最適です。もちろん、外に出られる元気が出てからで十分です。僕も最初は歩くことすらできませんでしたので。
感情や感覚が戻ってくると、不思議なことが起こりました。
まず、ささいなことでも感情や感覚が揺さぶられるのでこころが騒がしくなりました。
感動体験が一気に増えました。ふとかけられた言葉や、音楽や映像によって感動して涙が出ることが増えました。療養中は涙が出てから、悔しい感情が沸き上がりさらに涙が出るという状態でした。しかし、回復してからは、こころが感じて、動いてから、涙が出るという正常な流れに戻ったのです。すると、今まで活字嫌いだった僕が、本に書かれた言葉でも感動しまくるようになりました。

また、本を読むようになってからはアイデアが止まらなくなりました。あれは、この話から応用できるんじゃいか。これってこの考え方で対処できるんじゃないか。とか。

とにかくこの回復期は感受性が豊かになりすぎて、泣いたり笑ったり忙しかったです。何人かには伝えたのですが、言葉や感情を覚え始めた赤子のような感覚でした。
最近は騒がしい"こころ"が落ち着いてきて、何だか嬉しいような寂しいような。不思議な感覚です。アイデアが止まらない時期に思いついたことは、Twitterやメモ帳に残しているのでこれから実行期に入りたいと思います。

最後に

やみやみの期間を経て、僕は正常運転できるまで回復しました。
今思うことは、僕の”闇”部分が濃くなったことで人間味が増したのではないかということです。影は濃いほうが立体物は綺麗に映ります。
noteで初めて書いた記事に、「お酒が飲めるようになったら祝ってください」と書きました。

今がまさにその時です。体調が回復してからは、たまにお酒を飲むこともありました。しかし睡眠薬の副作用を気にしないでお酒が飲めるというのは素晴らしいですね。ふたたび僕の体に戻ってきた味覚や嗅覚をもって、美味しいごはんとお酒を楽しんでいきたいと思います。
祝杯をあげます。

乾杯!

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