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シュバンクマイエル「アリス」感想兼・日記

 世間一般の大学では秋入学の季節になった。私は大学で映画製作サークルに所属しているのだが、秋入学に向けて新歓活動が行われたのが功を奏し、新入生が数多く次回のミーティングに見学に来ることになった。彼らはインスタグラム等のSNSで次回の都合に参加したい旨述べてきたようであるが、そのアカウントの投稿を見ると皆制作した映像作品が並んでいる。個人で完成させた映像作品に乏しい僕は、これは後々映像の技術を最初から持っていた人にサークルが支配されて、僕の居場所がなくなってしまうのではないか?と思った。初対面でそのような人たちに舐められない為にはどうしたら良いか…と、思いついたのは、新入生が来るミーティングでは必ず自己紹介が行われる、その紹介の中では必ず好きな映画の話をすることだった。「映画御宅のみがそれを絶賛するような映画監督の作品を熱弁すれば、新入生に舐められないのではないか…?」と感情を抱いた私は、作品の選定に入った。その中で、ふと1年前に、私のカウンセリング担当だった今は辞めた御宅気質(いい意味で)に溢れた先生がミニシアターや映画が好きだったことを話してくれ、その話の流れでチェコの映画監督ヤン・シュバンクマイエルを紹介されたことを思い出した。Amazon Primeで視聴できる作品が3作あったので、レビューも見ず衝動的にこの作品を視聴することにした。

 全体を通してシーンのリフレインが特徴的かつ多様に用いられている。冒頭ではスカートの中に石を溜めるという場面を現実→人形→現実と繰り返していく。この切り替わりが実に妙で、実写と模倣の境界を曖昧にし、独特の作品感を作り出している。このシーンの後、剥製のウサギが動き出し、主人公の冒険の旅が始まるわけだ。この実写とアニメーションの切り替わりで息を撒いたのは主人公がドラム缶に尻もちをつくシーンだ。静と動が一瞬にして切り替わる様子が見事である。

 映画を通してそうなのだが、わざわざ食物をまずそうに写す。画鋲の入ったジャムをかき回す、ゴキブリの詰まった缶詰(人によってはかなりショッキングなので注意)、虫かミミズかのように動く肉塊とか、木くず食べるシーンとか。これは食べることに徹底した嫌悪を抱かせる、シュバンクマイエル監督の手法らしい。

 インクやクッキーでは自分の身体が大きくなったり小さくなったりするが、後半に出てくるキノコの切れ端では、なにか自分以外の他の物を大きくすることができる。これを使って赤ちゃんの泣き声が聞こえる小さな家を大きくする。インクやクッキーしか使えなかったまだ子供のアリスにとって、キノコという力(このきのこは冒頭のシーンでアリスの部屋にあり、元から持っていた力だということが示唆される)を得て、自身の幼年期の患いとも対峙していく。立ち向かった末の患いとは、奔放で無垢な性質をもつものであったことがわかり、豚は泣きながら階下に逃げ出してしまう。

 おなじみ赤の女王というものも出るが、この作品ではひたすら首をはねるということに執心している。この意味では「アリス・イン・ワンダーランド」より原作っぽい。「アリス・イン・ワンダーランド」ではヘレナ・ボナム・カーターが演じていて、傍若無人ではありながら、自分が気に入ったものには信頼を置くキャラとして、個人的に好きなキャラだった。主人公は赤の王と女王によって公開裁判にかけられるが…という感じ。

「不思議の国のアリス」という作品について、ディズニー作品になじみが深い私にとっては、ワンダーランド的な世界観を想像するが、本作ではそうではなく、登場キャラクターの内的な状態や性格のみを継承して、ストップモーションアニメーションを使って監督独自の世界観に引き込んだような作品だった。


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