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理屈とカニバリズム

「ねえ、証拠は?」
彼と出会ったきっかけは、この発言にある。
「だからさ、このお金が君のものだという証拠はどこにあるの?」
少し知恵をつけた猿たちが理屈で彼のお金を奪おうとしている。猿どもは、彼の逃げ場をなくすように、一人のリーダーを中心に彼を囲っている。彼は、傷が多いのか包帯を各所に巻いていた。そのような者に付け入る輩を俺は許せなかった。その包帯は、弱さのシンボルなのではなく、弱く生まれた運命への抵抗という強さの表れだ。
「僕のものだ。この発言が何よりの証拠だよ」
彼は、錦の御旗を掲げるように、これを言ったが、これでは、まるで根拠になっていない。その論理的不十分さは、誰が聞いても明らかだった。すると、愚集団は、演技じみた笑い方で、彼を傷つけた。その時、俺はとうとうその集団を許せなくなった。
「だからさ、その発言の根拠を聞いているんだよ。それなのに、「僕のものだ」というのは、循環論法を使っているわけだから、本当にお前は馬鹿だよねえ。じゃあ、このお金は貰っていくね」
「あのさ、こういう喧嘩に部外者の大人が干渉しない方が良いと思うけどさ、さすがに度を越しているから、入らせてもらう。じゃあ、君たちに聞くけどさ、そのお金が君たちのものだという証拠はあるの?名前でも書いているの?」
すると、愚集団は、一瞬、怯む様子を見せたが、こう発言した。
「いや、お金に名前なんて書いているわけないでしょ。これは、僕たちのものなんですよ」
「じゃあ、証拠は?証拠見せてよ」
「証拠なんて、ある訳ないでしょ」
「じゃあ、何で君たちは、彼に証拠を求めたの?」
「それは…」
「彼からお金を奪うためでしょ?」
「これは、僕たちのものなんですよ」
「だから、その発言の証拠を聞いているんだって。それなのに、「僕たちのものなんですよ」って言うのは、循環論法を使っているわけだから、本当に馬鹿だよねえ。それに、彼は、もしかしたら、その循環論法を使うことがいけないって知らなかったかもしれないけど、君たちは、知っていて使っているんでしょ?それじゃあ、君たちは、馬鹿って言った人よりも、馬鹿だよ」
「何だよ!警察呼ぶぞ!」
「いいよ、呼んで。そしたら、君たちが彼にしたこと全部話すけど。何なら俺が呼ぼうか?」
すると、集団のリーダーと思しき少年は、泣き出してしまった。天誅は、無事に成功したという訳だ。一方、彼は、呆気にとられているのか、口を開けたまま微動だにしない。

俺は、彼の家に来ていた。決して、綺麗とは言えない、薄汚い家であった。お礼がしたいということで、最初は、断ったのだが、何度も執拗に言うものだから、受け入れた。また、彼の家は、変な匂いがしている。芳香剤と嫌な臭いが混在しているようなそんな香りだった。
「どうぞ、リンゴです」
彼がリンゴを切って俺に差し出してくれた。皿も紙皿で、生活に困憊していることを諸所に感じられる。愚集団の時とは、全く違う人格のように感じた。愚集団と対峙していた時は、飄々としていたが、今は、おどおどしている。
「ありがとうね。リンゴ好きだから、嬉しいよ」
「良かったです」
彼の身体は、髪が所々、抜け落ちていて、下っ腹が極端に出ている。みすぼらしいというかむしろ異形のなにかに感じられ、子どもとは言え、気味が悪かった。早めに切り上げ、帰ろうと決意した。
「君は、リンゴ好きなの?」
「ああ、僕?好きだよ」
「なんで、好きなの?」
「リンゴだから、好きなんだ」
違和感を感じた。「リンゴだから、リンゴが好き」は、普通ではない。普通は、美味しいから好きとか、語彙がある子どもであれば、「あの硬い食感と果物の甘味が他にない感じがするから」とかそういう答え方をするはずだった。しかし、彼は、そう答えた。
「あのね、それは、理屈になっていないよ。普通、美味しいからとか、甘いからとか、そう答えるべきだよ」
「じゃあ、おじさんは、そういうことは言わないの?」
反抗心とも疑問とも取れないようなそんな雰囲気の言葉であった。何か慎重に確認をしているような感じだった。
「ああ、言わないよ」
「ふーん、そうなんだ」
彼は、つまらなそうに言ったが、裏に何か可笑しさを堪えているような感じがした。あの集団のように理詰めをしていく所作が彼に見え隠れしていた。
「おじさん、僕はブタを殺して食べるのは、ブタだからだと思うんだけど、これも違うの?」
何が狙いなんだ?この少年は何を考えているんだ?
「うん、違うね。ブタだから、ブタを殺すというのは、理屈になっていない」
「じゃあ、おじさんはそういうこと言わないの?」
「うん…まあね」
少々、怖くなってきた。本当に早めに帰ろう。

「おじさん、理屈、理屈って言うけどさ、理屈って何?」
俺は、論理学の習いがあったから、それを一通り、分かりやすく喋った(「AだからB」っていう文の否定は、「AだけどBでない」なんだ。例えば、「美味しいから、リンゴを食べる」の否定は、「美味しいけど、リンゴを食べない」だね、など)。すると、彼は熱心に聞いてくれた。俺も嬉しくなって、つい難しい対偶やド・モルガンの法則なども喋ってしまったが、それはやはり難しかったのかあまり聞いている感じではなかった。
「あの、これ僕が書いた絵本なんだけどさ。見てくんない?」
「ああ…良いよ」
早めに切り上げようとしたが、失敗した。助けたことは後悔していないが、お誘いを受け入れたことが少しばかり、悔やまれた。
絵本の粗筋を軽く以下に記す。

独裁者の王様がいて、彼は、気に入らない人を処刑しつくして、誰も王様を止められなくなっていた。王には、逆らえないという意識が植え付けられていた。そのような政治状況でもその家の母親は、子どもを女手一つで愛情深く育てていた。そんな暮らしをしている中、税金を払えと王様が訪ねてきた。払えないと母親が言うと王様は、母親を殺そうとした。その時、悪魔が現れ、子どもに「どちらかを殺してやるから、どちらを殺したいと?」と子どもに尋ねた。すると、子どもは、ひどく悩んで、母親を悪魔に殺させた。後で、話を聞くと「お母さんは、優しいから、殺しても許してくれると思ったから殺させた」と言う。子どもは、戸主となり、税金を納めるために、死ぬまであくせくし、国も衰える一方であった、という話だった。

何て惨酷で胸糞悪い物語だと思ったが、子どもとは得てしてそういうものだと精神を落ち着かせた。そういえば、彼の母親は?
「ねえ、おじさん。「ブタだから、ブタを殺す」を否定するなら、「僕だから、僕を殺す」も否定してくれるよね」
背後から、そういう声がした。反射で後ろを振り向くと彼が果物ナイフを持って俺を見ていた。まるで無機物を見るようかの目で見つめていた。
「ねえ、おじさん。「僕だから、僕を殺す」がおかしいなら、否定して「僕だけど、僕を殺さない」になるよね」
「君、少し落ち着きなさい。話そう」
「おじさんは、論理的だよね?しかも、僕を助ける優しい人だよね?」
彼は、俺の言葉に耳を貸さず、段々、俺との距離が狭まっていく。そこで必死に頭を働かせた。どうすれば、どうすれば良いんだ?
「ねえ、おじさん。「リンゴだから、リンゴを食べる」がおかしいなら、「リンゴだけど、リンゴを食べない」になるよね。それと同じく「僕だけど、僕を食べない」になるよね」
彼は、自身を論理的に安全にしてから、俺を殺そうとしている。リンゴの話をしたのは、俺を食べるためか?彼が食べられることを恐れているのは、自身が人を食べているからなのか?考えろ、考えろ。
「ねえ、おじさん。僕は、このおじさんが言った論全部、否定されないものだと思っているんだ。だけど、おじさんは、否定したから、もし僕を殺したり、食べたりしたら、矛盾するよ」
「ねえ、おじさん。「ブタだから、ブタを殺す」が許されるなら、「おじさんだから、おじさんを殺す」も許されるよね」
「ねえ、おじさん。「リンゴだから、リンゴを食べる」が許されるなら、「おじさんだから、おじさんを食べる」も許されるよね」
ヤバい。本当に殺される。しかも、食べられる。どうすれば、この少年を怯ませられる?そうだ。
「じゃあ、「君だから、君を食べる」も成り立ってしまうよ?」
すると、彼は、笑顔で、包帯をおもむろに解きだした。すると、無数の歯形の形に肉が抉れている。
「そうだよ。だから、僕は僕を食っている。しかも、自殺しようとするんだけどさ、人格が交代するから、死ねないんだ。もし、僕が全ての人格で人を殺したら、僕たちは死ぬけど、その度に、人格が増えていくんだよね。この人格で人を殺したからといって、この人格とは、別の人格で人を殺していることにはならないでしょ?それで死んだら、殺していない別の人格も死んじゃうから、それはダメだよね。それこそ人殺しだよね」
リンゴの甘い香りがする果物ナイフの冷たい感触が鋭い痛みと共に首に当たった。


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