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想像力で味わう間を作ることが、和風デザイン、ZEN的なデザインの重要ポイントであること

ヨーロッパの音楽と日本の古典音楽の違いで、「音そのものを聞かせるのか、音と音の間の間(ま)を聞かせるのかの違い、」というものがあります。

例えば、鼓ならこんな感じです。

ポン ・・(間)・・・ ポン

「間」のほうに意識がいくようにできています。日本の古典音楽。

音が鳴った瞬間の音色より、そのあとの減衰の時間の流れのほうに意識がいきやすいです。


お寺の鐘もそうですね。

ゴーン ・・・・・(余韻)   ゴーン・・・ (余韻)

こちらも音が鳴った瞬間ではなく、音が減衰していく余韻のほうに、意識がいくことが多いのではないでしょうか。


こうした「空白を魅せる」という文化が、ビジュアル表現になると例えば
枯山水庭園になります。

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これも「空間によい加減の「無」があることで、無意識に何かを感じてしまう」ように作られています。

優れた枯山水庭園になると、「よくわからないけど、なぜか心が動かされる」というタイプの非言語コミニュケーションが起きるわけです。


一般にゼン・デザインというと「シンプルにして要素をなるべく減らしたデザイン」のことだと思われています。アメリカ人が書いた表現の本などをよむと、そういう方向性の美学を「禅」と理解して使っているようです。iPhone的なデザイン=ZENデザインなんだ、みたいな。


ただ、1000年以上の歴史に根差した日本的デザインというものを考えるのであれば、単なる「要素をとことん少なくしたすっきり系デザイン」だけではなく、「想像力がつい働いてしまうような間を作ること。無駄を作ること。」が重要だと私は思います。

「1つのポスターでは1つのことしか言わない」的な発想だけを土台にシンプルな表現を作るのではなくて、「言葉にならない部分のメッセージを、多様な解釈を可能にする間や遊びを作ることで伝える」という土台からシンプルな表現を作るということです。

お庭でいうなら、レイアウトというより絵画的な領域になりますが「未完成だけど完成形」という表現が1つの王道パターンです。

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(重森三鈴の作庭 東福寺)

幾何学的な規則性の美しさと、そうではない不規則性のオモシロサとが、お互いを殺さずに両立している例。幾何学模様がうまいこと途中で途切れていることで、「何か」を想像する余白がある状態で、未完成で完成しています。

全てを作り手がコントロールするのではなく「よろしいように解釈してください」な部分が小さめに残されているということです。


ちょっと東西対比してみる

真逆な方法論で不調和は削除して整理整頓して見せる方法論の例だと、イタリアのPadoueにある欧州最古の植物園な庭園。

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これはこれで幾何学的なキレイさがありますが、日本的な「間」で見せるものとは、別タイプの美しさになります。

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