【古事記まとめ&ツッコミ07】大蛇(オロチ)を斬る


八俣大蛇(ヤマタノオロチ)退治

高天原から追放されたスサノオは、オオゲツヒメの所へ寄った後)地上世界に降りていき、出雲国(いずものくに)の鳥髪(とりかみ)という所へ
降り立ちます。

しばらくすると、川にハシが流れてきたことから、上流に人の住む家がある違いない、と少し歩いて行くと、家が見え、すすり泣く声が聞こえてきました。


スサノオが泣いているおじいさんおばあさんに事情を聞くと


「私にはもともと8人の娘達がいました。が、ヤマタノオロチという怪物がやってきて毎年娘を1人喰らっていった。とうとう残り1人のこの子の番になってしまった。」

とのこと。

スサノオは

「お嬢さんを自分にください。ヤマタノオロチは任せておいてください。」

と申し出ます。

承諾を得たスサノオは、娘のクシナダヒメを櫛(くし)に変えて自分の頭にさし、おじいさんとおばあさんに手伝ってもらって非常に濃い酒をつくり、8つの酒がめにいれ、8つの門と垣根をつくって、門の入り口に酒を置きました。


酒でオロチを眠らせてしまい、その間に倒してしまおうという作戦です。


はたして


八つの谷と八つの山にまたがる巨大な大蛇(オロチ)がやってきました。

その目は鬼灯(ほおずき)のような赤い色。
胴体は1つで頭と尾が八つ。
巨大な胴体には杉などの木が生えており
ハラをみると、赤くただれていました。

こんな巨大な大蛇・龍の姿をした怪物がやってきます。


スサノオの作戦がうまくあたり、ヤマタノオロチは、スサノオが造らせた強いお酒を飲んで寝込んでしまいました。

そこでスサノオは、寝ている大蛇をズタズタに切り裂いてしまいます。

(尾を斬った時、中から宝剣がでてきたので「不思議なこともあるものだ」
とアマテラスにその剣を献上しました。)


そして、オロチを倒したスサノオは、無事にクシナダヒメと結婚。

「ここは気分がすがすがしくなるなあ」

という場所に宮殿を建てて「八雲立つ」ではじまる和歌を詠みます。
これが日本の和歌のはじまりと言われています。


その後、スサノオはクシナダヒメとの間にたくさんの子供を作り、
自分は根の国へと旅だっていきます。

ツッコミ

「巨大な敵に、正々堂々と、正面突破!」ではないのが、考えてみれば意外なところです。

スサノオは、荒くれもののイメージが強い神なのですが、ここでは「智恵」を使って敵を倒しています。

ヤマトタケルの英雄談もそうなのですが、古事記の男性ヒーローって、意外と「頭を使って倒す」という作戦を使う、頭のいいマッチョ、だったりします。体を使うことがあるレベル以上に得意な人は、確かに「頭脳明晰」でもあることが多い気がします。

古事記のスサノオの魅力は、「子供」と「大人」の両面を持っている複雑なキャラであるところだと、私は思います。(後の話で、頑固オヤジなスサノオの話もでてきます)

「子ども=未完成品の大人」と扱う西洋近代の世界観と違い、日本文化の文脈では「子供らしさ=聖なる何か」という世界観が、古代から現代までそのまま継続している面があります。

日本仏教だと、善財童子、矜羯羅童子(こんがらどうじ)、雨宝童子、など、●●童子という神仏がちょこちょこいるのですが、これも「子供=神聖」の文脈があったから信仰された面もあるのではないかと推測しています。

「子供=神聖」なので、現代語でも「カワイイ」が万能の褒め言葉になることがあるわけですが、「子供らしさ=聖性」を最初に読み解けるストーリーは、古事記のスサノオ神話ではないか、などと考えてみるのも面白いと思います。



補足

古語の「八」の意味
八百万(やおよろず)の神など、昔の日本語の「八」という言葉には二つの意味があります。

1つは、実際の数字としての8(eight)、もう1つは、たくさん(many)の意味です。

現代語だと八百屋(やおや)という言葉に「8=たくさん」の意味が残っています。(別に800個の品揃えしてませんよね。八百屋さん。)

雨宝童子
この童子は現代ではマイナーな存在なので補足。アマテラスが日向に降りてきた時の姿とされる美少年な神様です。


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