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【超短編小説】買い物

買い物 

彼女は裸のまま市場に並べられていた。
生くさくて鋭くて青い魚たちと一緒に。
白い肉を剝き出している豚たちと一緒に。

豚たちは死んで、魚たちは死んでいって
彼女一人だけが生きて苦しい息を伸ばしていた。
跳ねる魚の鰓の呼吸のように
彼女の胸がぴょンぴょン跳ねていた。

彼に会うまでは
この息が切れないように
彼女は願っていた。
生きているこの心臓を彼にあげなきゃ。

夕方になって、買い物に出た彼は
死んだ魚たちと豚たちと彼女を通り過ぎた。
突然、彼は不意打ちを食らわせたかのように振り向いた。

そして、見つけた。
光を失っている生き物たちの中で
幽かだけど、揺れずに光っている何かを。

彼女は彼を見つめていた、切実に。
彼を待っていた
心臓を
目に込めて。

彼が振り向いた時
ぎゅっと
彼女から、彼女の心臓から涙が出て
一度ふたをなくした涙は止まることを知らず
生くさくて冷たい市場の地面に溢れ出しはじめた。

熱い涙が血のように
赤い宝石のように
柔らかいビロードのように
魚たちと豚たちにはもう消えてしまった熱くて赤い息とともに
市場の地面を染めていった。

彼は彼女に歩いてきた。
裸で、心臓を抱えて、並べられている彼女。
昨夜屠殺され、運ばれてきた死んだ豚のそばで
夜明け海から取り上げられ、目を開けて死んだ魚のそばで
彼女の目は外れることもなく、彼だけを見ていた。

その瞬間、彼は何の音も何の匂いも感じられなかった。
彼女の顔にくっついている塗れた髪の毛を一本一本撫で付けると
傷だらけだけど、ほれぼれとするような赤い唇が現れた。
彼を見つめている切実な眼差しも現れた。

きらーきらー
灯台のように
彼女の目は彼を放せなかった。
切実感。
理由は説明できないけど
彼はその切実感が気に入った。

それで、ふーん ふーん 二回頷いて
彼女を選んだ。

この頭をください。

お店の人は、魚の頭は別売りできないように
全部買ってくださいと、主張した。
彼は、豚は部位別に買えると、言い返した。
二人の取り引きが終わって
彼は彼女の頭だけを買うことができた。

彼は彼女の頭を
大きい袋に入れて、満足気に胸に抱いて市場を去っていった。

しばらくして、市場では、頭が消えた彼女の心臓が止まった。
それで、彼に心臓をあげるために
息を伸ばして心臓を守っていた彼女も死んだ。

心臓が止まって
彼女が死んで
やがて
彼が持っていった
頭も
死んだ。
目が閉じられ
彼が気に入っていた切実感ははるか向こうに消えていって
灯台みたいな光も死んだ。

家に帰って
その事実を知った彼は
がっかりして
騙されたと怒って
彼女の
頭を
ゴミ箱に
捨てた。



2007

※原作のタイトルは「私の心臓を買って」です。

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