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止まない雨はない、でもまた雨は降る

 学校から帰ってきた母親は私の顔を見るなり、浅いため息をついた。なんだか、ため息をつくのにも値しない、そんな素振りだった。今日は学校の放課後に担任の先生とクラスの保護者が集まって、普段のクラスの雰囲気やクラスで起こっている問題、生徒の家庭での生活などの情報交換会が行われていた。

 「森口先生がね、息子さんとは普段しっかりとコミュニケーションをとっていますか?って聞いてきたのよ」
 「それがどうしたの?」
 「あなたが学校で変わった言動をとるから、家庭環境を心配されたのよ。頼むから目立った行動は取らないようにしてよね」

目立つも何も、私は自分で見ても大人しい部類の生徒だった。ただ、普段あまり喋らない私でも、授業中にみんなの前で発表をしたりと、避けられない場面はある。授業中の課題に対していちいち、周りからの目を気にしてはいられない。

 母親は私に対して注意をした後、「他の親御さんの前で言われて散々だったわ」と独り言のように呟いた。しかしこの狭い部屋の中では、独り言であっても私の耳までは届いてくる。私の耳が都合の良い耳で、私にとってプラスな情報だけ聞こえるようになれば良いのになと、何回か思ったことがある。そんな現実離れした願いよりも、「他人の独り言が聞こえないくらい広い家に住みたい」と思うのが普通なのかもしれないが、その時の私とっては、まだ「都合の良い耳」の方が現実味があったのかもしれない。

 台所で夕飯の準備を始めた母親。不満そのまま作業に入ったためか、心なしかいつもよりも包丁がまな板にあたる時の音が痛く耳につく。私は目線をテレビ画面へと向けた。夕方の情報番組が放送していて、画面の中の男性アナウンサーが神妙な面持ちで語り出していた。ニュースの内容は、ある女性の国会議員がたくさんの議員が集まって会議をする場所に赤いストールを巻いてやってきたことに対し、他の議員がルール違反だと言い出し、そのことについて話し合いがされたという話題であった。

 「こういったことに時間を使うのではなくて、もっと話し合わなければいけないことは他にたくさんあると思うんですけどね」男性アナウンサーは、一通りの説明をした後に言った。

 「正直、何色のスカーフだろうが、国民はそんなこと気にしないと思うんですけどね」
アナウンサーに続いて芸能人のコメンテーターがそう喋っていた。

 私が通っている小学校でもいろんなルールがあった。「廊下を走ってはいけない」だとか、「職員室に入る時は、「失礼します」職員室から出る時は、「失礼しました」と言わなければいけない」などだ。今年で小学五年生の私は、そういった学校のルールにももう慣れていた。しかし、大人の世界では身に付けるものの色にまでルールがあるのかと、そのニュースを見て思った。

 「頼むから目立った行動は取らないようにしてよね」

先ほど母親から言われた言葉が頭の中で繰り返された。ルールを破ることもそうだけど、他人と違う行動をとって目立ってしまうと、みんなの前で変わり者扱いをされてしまう。多かれ少なかれ、子供の世界でも、大人の世界でも同じようなことが行われている。

 「そもそもルールって誰が決めるのだろう?」
 「目立つ行動と、目立たない行動とは、誰目線の話なのだろう?」

きっと赤いストールを付けてきてはいけないと決めた人たちは、普段から赤いストールなんて身につけていないだろうし、ルールを決める人たちのほとんどが赤いストール好きの人たちだったら、逆にそんなルールはできていないだろう。結局はルールも多数決と同じで多い人の考え方がオフィシャルとなって、少数派の人たちはそれに従わなければならないのだ。

 目立つ行動と、目立たない行動も同じだ。他の人たちと同じような考えを持ち、同じような行動をとらなければ目立ってしまう。目立つということは常に少数派であり、常に反対側には多数の人たちが存在する。そのため、少数派の花が開くのは、かなりの時間と労力が必要である。

 「でも、教育ってそんなんで良いのだろうか?」
 「国の未来を決める国会ってそれで良いのだろうか?」

現状を把握し、今よりももっと良い未来を築いていくためには、同じことをやり続けてもあまり意味がない。どこかでシフトチェンジなり、考え方を変える必要がある。そしてそのタイミングは必ず訪れる。

 同じ思いを持った人たちに囲まれて生活をしていると安心感が生まれ、決まって自分の手の届く範囲にしか目を通さなくなる。ただ物事をより良くするためには、一歩引いて後ろを振り返ってみたり、思い切って前に踏み出して未来を見据えてみたりする必要がある。そこで気がつくのだ「今やっていることは間違っている」と。

 しかし、これらは悲しい現実として、後ろに引いたり、前に踏み出したりするのを担当するのは、必ず少数派に所属する人たちだ。そして目立つ存在として多数派に目をつけられ、波打ち際に書かれた字の如く、押し寄せてくる波によって儚くなかったものとされてしまう。

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