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恐怖を手に入れた大人たち

鉄棒に足を引っ掛けてコウモリ。そのまま状態を振りこのように揺らして、揺らして、勢いをつけて足を離す。すると体が回転して地面に着地する。言葉で伝えることでその動作の危なさがより際立つ。しかし私はこの動作を小学生の頃にしていた。そして想像通り、振り子の勢いが足りず頭から地面に落ちたこともある。

実家の前に長い坂がある。その坂のてっぺんから自転車に乗ってブレーキを使わずに下り切る遊びをしていた。その時私は小学生だった。いくら田舎町だからといって、人が全くいないわけではない。ましてや車文化の環境だ。どのタイミングで車に乗ったご近所さんがスーパーに行くともわからない。そんな状況でも私はその遊びを続けた。日が暮れるまで。

夏はよく近くの川に遊びにいった。網を持って川魚に興じるのも最初の30分。気がつくと川幅約1メートル半を飛び越える遊びが始まった。私は小学生だった。一緒に遊んでいた弟は足を踏み外し背中から川へ落ちていった。泣きはしたが、数日後また同じ遊びをした。

家の近くの木に登った。そこから飛び降りる遊びを何度も繰り返した。小学生だったと記憶している。途中足を滑らせて足首が幹と幹の間に挟まって宙ぶらりんになった。怖くて助けてと叫んだが、その遊びを止めることはなかった。

大人になった私はそれらを振り返って恐怖を感じる。同じことをやれと言われても多分無理だ。小学生だった頃の自分は恐怖なんて感じてなかった。遊ぶことに必死だった。歳を重ねいろんな経験をすると臆病になってくる。大人が口にする子供心を忘れないという言葉は、恐怖心を取っ払って無我夢中で遊ぶことなのかもしれない。

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