春の訪れ
外の気温も高くなり、過ごしやすくなってきた。東京の桜も観測史上最速の開花宣言がされたらしい。この季節は出会いと別れの季節だ。新しい環境に身を置くということで言えば、慣れ親しんだ環境との別れであり、新しい環境との出会いでもある。
環境の変化とポカポカとした気候が相まって、メンタル的にもテンションの上がる人も多くなる一方、環境の変化に適応できず苦しむ人もいるのではないか?私もどちらかというと「新生活」や「新年度」といった雰囲気に苦手意識がある。新しいことに挑戦することや、今までのやり方をガラッと変えることに対しては前向きな性格なのだが、この季節独特の雰囲気はあまり肌に合わない。
私の仕事は新年度だからといって大きく何かが変わることはないため、この季節独特の新しい環境への適応に苦しむ必要はない。そういう業界に身を置けているのはある意味ラッキーなのかもしれないが、振り返ってみると、小学生の頃からあまり春が好きではなかった。
田舎の小学校だったため、1クラスしかなく、クラス替えは6年間存在しなかった。そのため1年から2年に進級するタイミングで変わることは、教室と担任の先生くらいだ。身の回りの生活様式に大きな変更は無かったのにも関わらず、なぜか4月はテンションが上がらなかった記憶がある。
大きな変化があったのは中学生になったタイミングだ。私が通っていた中学校は3つの小学校の卒業生が通う学校で、全校生徒が700人を超える。今までクラス替えが存在しなかった学校に通っていた私にとって初めて訪れる大きな生活の変化だ。加えて、中学校までは片道30分以上の道のり、部活の開始など、朝起きてから家に帰ってくるまでのタイムスケジュールが全く違っていた。
ここで明確な異変が起こった。言葉でうまく言い表すのは難しいのだが、とてつもない不安感が体に押し寄せてきた。それからというもの、中学から高校、高校から大学、大学から社会人と環境が大きく変化するタイミングでは同じような不安感が押し寄せてきた。環境の変化による不安感は、来ると分かっていても対処ができなかった。体調にも影響を与え、それを理由に休むということも多々あった。
話を戻すと、中学生の私はこの押し寄せてくる不安感に対し、初対面であったため、自分に起こっていることに理解ができず、それも辛かった。気持ち的にしんどいときは席を立つなりして気分転換をすると若干ではあるが気持ちが落ち着く。しかし、学生時代はそうもいかなかった。なぜなら授業中にその症状に襲われるとなす術がないからだ。席を立つこともできず、ただじっと堪えるだけである。
今の時代はSNSの普及により、同じように苦しんでいる人がこの世にいるということがわかる。これだけでも気持ちに余裕が出てくる。また、これは時間的な解決方法なのだが、押し寄せてくる不安感とも長い付き合いとなったため、耐性ができつつある。辛い自分を受け入れることも大切だ。
寒い冬の期間を抜けて暖かくなってくると、周りには新しい生活に前向きな人たちが眩しく映る。そういった人たちと比べてしまうと、さらに深みにハマってしまう。こういう時こそ自分らしく。辛いときは辛い、これで良い。この症状の傾向として、新しい環境にも慣れてしまえば問題ないということがある。慣れるまでの辛抱。慣れてしまえばこっちのものだ。そこからの大逆転に期待して、春の訪れを待つ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?