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止まない雨はない、でもまた雨は降る

 小学校六年生の十二月の初め、私たちのクラスでは毎月、クラスの席替えを行なっていた。

 「この席、地味に好きだったから席替えしたくないな」

一番前の左端が私の席だった。普通、一番前の席はそれだけでいい席とは言えない。しかし私はこの席が好きだった。左側には窓があり、そこから校庭に植っていた桜の木が近くに見える。桜自体に興味はなかった。だってあいつらは、私の嫌いな春にしか花を咲かせなかったし、何よりも、満を辞して感が気に食わない。一年の大半は何の特徴もない木であった。

私の興味は、時々桜の枝に止まっていた鳥を観察することだった。

 小学校三年生の時の誕生日、母親に鳥の図鑑を買ってもらった。鳥の魅力はその大きさだった。「全長」これは鳥の体全体の大きさを指す。そして「翼開長」これは翼を広げた時の長さを指す。私はこの二つのギャップがたまらなく好きだった。
 木に止まって翼を休めている小さな鳥も、翼を広げ羽ばたく時、私の想像を超える大きさだったりする。

 「どうやってあの大きな翼を折りたたんでいるのだろう?」
 「あの鳥が翼を広げた姿は、どんなんだろう?」

そんなことを考えながら授業中、ぼんやりと外の桜の木を眺めるのが好きだった。

 母親に買ってもらった鳥の図鑑は前半のページで、「様々な環境に住む鳥たち」と言うタイトルで、乾燥地域に住む鳥や、水辺を好む鳥、雪に覆われた地域に住む鳥などをカラー写真で紹介してあった。地域の特性に合わせて鳥たちも、体の形状や、羽の生え方などがそれぞれ工夫されていた。その場に適した姿形は人間の世界でもあるのではと、その写真を見たときに思った。私が生きづらいと感じているこの世の中は、自分がうまく適応できていないからではないか。鳥たちの賢さと、柔軟な考え方に憧れさえ抱いていた。

 クラスの学級委員が黒板に机の配置図を書いていた。そこに生徒の名前が印刷されたマグネットを担任の先生がカジノディーラーのごとく、ランダムに置いていく。そこが新しい席だった。結局私の新しい席は、真ん中の列の一番後ろになった。

 「少し見づらくなったな」

他のクラスメイトからは、一番後ろの席を羨ましがられた。
 担任の先生からの「他のクラスは授業中だから静かに机を移動すること」との合図を皮切りに生徒たちは自分の机を新しい場所へと移動させる。

 「じゃーねー」
 「達者でな」
 「一番前とかまじ最悪」
 「これからよろしくね」
 「同じ班、初めてじゃない?」

様々な会話がやや小さなトーンで交わされている。

 私は、机と机の交通渋滞に手こずりながらも、なんとか移動させることができた。新しい席からの景色は毎回新鮮である。

 「映画館だったら、一番いい席なんだけどな」

この席からだと、教室全体を見渡すことができる。しかし、黒板の板書が真正面すぎて見えづらい。前の席からは、先生が板書をしている時からノートに書けた。

 「あと、俺、目悪いんだった」

 私にとって、最初で最後の一番後ろの席での学校生活がスタートした。

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