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止まない雨はない、でもまた雨は降る

 母親との生活が始まってすぐ、私は小学校に入学した。母は日中、家の近くにあるスーパーでパートとして働いていた。そのため私は、小学校入学とともにいわゆる鍵っ子となった。

 学校が終わり家へと向かい、家のアパートの二階へ上がっていく。二階へはアパートの外階段を使って上がっていく。小学一年生の私にとっては、やや急な階段だ。

 こないだ同じクラスの健くんの家に遊びに行った時は、家の中に階段があって少し驚いた。その緩やかな階段を上りきった先に健くんの部屋があった。
 「ここって健くん専用の部屋?」
 「そうだよ、僕専用の部屋だよ」
 「この勉強机も健くんの?」
 「そうだよ。でもこの机ではほとんど勉強しないんだ」
 「どうして?」
 「なんか結局、一階のリビングで宿題とかやっちゃうんだよね」
 「へぇーそうなんだ」
 自分の家に自分専用の部屋があって、自分専用の勉強机がある。そんな生活自体その当時の私からしたら想像もできないことだった。しかも、その机を使わないなんて、健くんの言っていることが、大人同士が話している会話をそばで子供が聞いているような、子供では到底理解ができない事のように聞こえた。

 急な階段を上がりきり、一番手前のドアへと進む。ランドセルの小さなポケットから鍵を取り出して差し込む。「カチャ」という音を確認し、ドアを開ける。玄関からは、キッチン、そしてリビングと部屋全体が見渡せる。「お帰りなさい」という言葉は私には縁のない言葉であり、自然な流れで「ただいま」も言わなくなっていった。

 帰ってきたらまず、宿題をする。ランドセルから漢字ドリルを出して机に広げる。私の身長には高すぎる机。普通に座ってしまうと顎が机についてしまうのではと感じるくらい高い。だから私は、部屋の隅に置いてある座布団を二枚持ってきて重ね、その上にお膝して宿題をする。

 「健くんは、自分の部屋もあって、自分の机もあるのになんでリビングなんかで勉強するんだろ?」

健くんの机はこの机と違って健くんの背の大きさをしっかりと計算した設計をしていた。私が座っても顎が机についてしまうような心配はしなくてもよかった。

 漢字ドリルは三十分くらいで終わった。時刻は午後三時。母親が帰ってくるまであと二時間くらいある。私は去年の年末に母親と、とある公園で催していたフリーマーケットに行った際に買ってもらった、戦隊モノの人形を持ち出し人形遊びを始めた。悪の組織に立ち向かうヒーローの姿を頭の中で想像し、それに習って人形を動かしていく。ただ、買ってもらった人形は、両方ともヒーローの方だった。しかもブルーとイエローという、どちらを主人公にしていいのか迷ってしまう布陣である。最初私は、ブルーをヒーロー役、イエローを無理やり適役に見立てて遊んでいたのだが、途中からブルーが敵にやられそうになったときに助けに来る役が欲しいと思い始め、イエローを見た目通りヒーロー役で使うことにした。その代わりに適役を台所に置いてあった醤油差しに代用させた。醤油差しの赤いヘッドの部分が頭で、醤油が入っている部分がなんとなく邪悪な雰囲気を醸し出しているように感じたからだ。
 怪人「醤油差し」に犯された人々は口から邪悪なオーラを纏った液体を入れられ、体全体が醤油色になってしまう。先に戦っていたブルーも怪人「醤油差し」の攻撃を避けることができず、追い込まれる。体はボロボロになり、最後の一撃で負けてしまう、そんなタイミングでイエローが助けに来る。そしてあれよ、あれよの内に、形勢が逆転。さっきまで地面に這いつくばっていたはずのブルーも驚異的な回復をし、最後はブルーとイエローによる必殺技を繰り出す。怪人「醤油差し」は「無念」という言葉を残し消えてしまう。するとそれまで怪人「醤油差し」に犯され、身体中が醤油色に染まってしまっていた人々の肌の色も本来の色を取り戻し、平穏な生活が戻ってくる。

 気がつけば時計の針は四時半を示していた。ヒーロー役はヒーローにしか務まらない。しかし、悪役はその気になればなんにでも務まる。
世の中そんなものなのだ。

 お膝をしていた足は、感覚がないくらい痺れていた。

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