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止まない雨はない、でもまた雨は降る

 その日の晩ご飯は、カレーだった。私はあまりカレーが好きではなかった。理由は幾つがあるが、そもそも味が苦手だった。それと、晩ご飯がカレーだと食卓にカレーしか上がらないことがほとんどだった。カレー一品でその日の食卓が完結してしまうのだ。

 「カレー嫌いな人いないでしょ?」

このスタンスもあまり好きではなかった。

 そもそもカレーは、インドの食べ物である。日本の食べ物で「嫌いな人いないでしょ?」ならまだわかるのだが、外国の食べ物に対してそう言った考え方になってしまうのが理解できない。

 「海軍は毎週土曜日にカレーを食べて曜日感覚が鈍らないようにしている」

これもあまり好きではない。

私は決まりに縛られるとかなりストレスを感じてしまう。「毎週土曜日はカレー」と言ったように、習慣化されてしまうとあまり良い気にならない。

 最後に一つ、カレーを盛り付けてもらうと必ず、いつもよりも多くご飯が盛られてしまうことだ。いつものご飯茶碗で言うと約二倍は多く盛られる。
 「今日は食べ切れるかな?」
そう思ったものの、最後の方にお腹がいっぱいになってしまって食べ切れなかったことがかなりある。

 私の目の前には、やや大きめに切られた野菜が入ったカレーが置かれている。見るからに今日もご飯の量は多い。
 「いただきます」
母親が炊くご飯はいつも柔らかい。母親がパートの仕事から帰るのが遅くなる日は、私がご飯を炊くことがある。その時は水の量を減らして自分好みの固さにする。洗い流した米に、はる水の量は、私の人差し指の第二関節の少し上くらいだ。私がご飯を炊いた日はだいたい母親から「ちょっとご飯硬くない?」と言われる。

 私は母親が作る料理に対して不満を言ったことは一度もない。なぜなら黙って食べていたほうが楽だからだ。ましてや今日みたいに機嫌の悪い日は注意しなければいけない。何気ない発言だったはずが、母親の感情のあまりよろしくない部分に触れてしまうこともあるからだ。

 他人から「変わり者」として見られている私だが、誰よりも他人の目を気にしている。他人からどう思われているかや、自分の発言がどう影響するかなど、常に頭の中で考えている。だからこそ一方で、自由な発想であったり、正直な感想を言えることへの憧れがある。その憧れる気持ちが溢れかえってしまった時、私の言動に「変わり者」の姿が現れてしまうのかもしれない。

 ただ、誰にも理解してもらえないことだが、溢れかえってしまったものはごく少量であり、その何十倍もの葛藤が私の中には存在している。そのことに気がついているのは私自身であり、今日もまた食卓にカレーが上がっているところを見ると、世界中の誰も知らない事実なのであろう。

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