人生は自分を愛せるようになる旅
7月、祖父が死んだ。
大好きなおじいちゃん。
99歳だった。
大往生といえばそれまでだけど、やっぱりもっと生きて欲しかった。
ついこないだまで自分で歩いて大好きなチョコとみかんを食べていたじいちゃんだが、亡くなる数ヶ月前から眠る時間が増え、歩けなくなり、ご飯が食べられなくなった。
最後は自分で排泄もできなくなって、じいちゃんも周りも大変だった。
死ぬのって大変なんだなと思った。
死は必ずいつか自分にも訪れる。
死ぬのはどんな感覚なんだろう?
痛いのと苦しいのはいやだから。
老衰の先に、本当にお花畑はあるのか?
あってほしい。これは強い願望だ。
今できるのは、
できるだけ長く自分の足で歩けるようにし、
できるだけ長く自分でご飯を食られるようにし、
できるだけ長く自分で考えて喋れるようにすること。
ピンピンコロリがうらやましい。
将来の夢が決まった。
わたしはピンピンコロリで死にたい。
祖父母はおしどり夫婦であって、わたしの憧れだった。
ばあちゃんはじいちゃんより長生きしたけど、じいちゃんの最期の瞬間は病院で、一緒にはいられなかった。
じいちゃんは病気で苦しかったろうから、病院で最期を迎えたのはよかったと思うけど、いくらおしどり夫婦でも最期の時に一緒にいられないのだと気づいた。
最期の時は本当に1人らしい。
さて、それだと問題だ。
わたしはたった1人で死に立ち向かわないといけないらしい。
今の元気な時ですら自分に自信がないのに?
わたしは、死にゆく自分を愛せるだろうか?
もしかして、だからこそ生があるのだろうか。人生は自分を愛せるようになるための長い試練の旅なのだろうか。
いまの自分にはきっとそうなのかもしれないと感じられる。
祖父の死は悲しいが、わたしはいまの自分の生を謳歌しなくてはならない。
これは「しなくてはならない」という義務になるのだろう。
いまの自分の正解を矯めつ眇めつ考えてみて、じいちゃんの墓前に捧げたい。
じいちゃん、極楽で大好きなチョコとみかんをいっぱい食べるんだよ。
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