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[5000字] "歌舞伎"になった仮面ライダー。庵野秀明『シン・仮面ライダー』について③

前回

③"歌舞伎"になった仮面ライダー

組織の物語やディティール描写に逃げずに個人の物語だけを中心にして描いても、それが「人間」の物語にはならない。こんな奇妙な離れ業をやってのけるのは庵野秀明監督くらいだろう。『シン・仮面ライダー』に関する感想は、もうこの一言に尽きる。

先にも述べたように『シン・仮面ライダー』に形式上の「人間」の物語が無いわけではない。
優しい青年本郷猛がマスクに宿る生存本能に衝き動かされて戦い、父とは異なる優しいままでも戦える強さを獲得するまでの物語。緑川ルリ子と緑川イチローの兄妹が和解し、相容れない他者や理不尽に満ちた現実世界を肯定するまでの物語。一匹狼を自負する一文字隼人が、本郷猛との出会いを経て人々との共闘を受け入れるまでの物語。
これらの物語があることにはあるのだ。しかし実質的には作品に対して何の意味も持っていないことが衝撃なのである。しかも怖ろしいことに、その無意味さは作品の価値を貶めるようなことにもなっていないのだ。そもそもが「無関係」なのだから、そこには形だけのものが充当されてさえいればそれで十二分なのである。

「人間」の物語が実質的には機能していないことに不満を覚えた観客もいただろう。唐突過ぎるストーリー進行、聞き取りにくい棒読みのセリフ、現れては消えていく個性的すぎる怪人たちに、断片的かつ難解なセリフだけで進む共感不能な心情変化、死亡したヒロインからのまるで涙を誘わないビデオレター……。この映画にいわゆる「泣ける」ような感動を求めた場合、シンプルにちぐはぐで不出来なものと映ったのではないだろうか。
「感動的なシーンではとにかく"感動"するもの」と自己暗示的に同調しようとするタイプの人ですらも、独特の無機質さにそれを阻まれたのではないか。

作中の登場人物はあくまで役割と性質を設定された「キャラクター」であり、作中の各場面はお決まりの魅力的な「そういうシーン」を自分なりの演出で描くためのものであり、作中のストーリーは生身の人間が生きている連続した時間ではなく「そういう展開」の連続したものであり……。
現実の人間が日々の生活や人生の中から味わうような手触りや実感を排して、全てがいわば記号的な「見立て」だけから構成されている。そう言い切ってしまえるほどの非現実感と奇妙な魅力とが同時に宿っている。

作中、3度ほど笑ってしまった場面があった。
コウモリオーグとの戦闘終盤にバイクが爆走し、ライダーキックの最大射程を拡張した場面。オタクとしてライダーキックの最大射程を設定しそれを守りつつも、サイクロン号との掛け合わせで限界を超えたライダーキックを放つという爽快シーン。
あまりにもノリノリすぎて、ひたすら楽しんでいるだけなのだな……!! という"圧"に圧倒された。この映画はこれを楽しむための作品であって、小難しいことを考えるための作品ではないのだな、と。
2つ目は死んだルリ子からのビデオレターで、取って付けた感が尋常ではない「鳥の声」が聞こえた場面。「これは死んだヒロインが私的な時間に手ずから撮ったビデオレターなんですよ~、だからこういう環境音とか入っててリアル感があるんですよ~」という記号的な認識があまりにも浮きすぎている。
ああ、庵野監督にとっては"現実"というものも「現実っぽいもの」であり、あくまで「記号」なんだな……という手触りが感じられる極めつけの一コマのように思う。
最後はエンディングのスタッフロールで、「迫る~ショッカ~」でお馴染みの「レッツゴー!! ライダーキック」が流れた後、「そうそう、やっぱりこういう風に締めてくれた」……と思っていたらそのまま止まらず「ロンリー仮面ライダー」が流れ、そのままさらに「かえってくるライダー」も流れてくる場面。
何らかの思いや意図が隠されているのかもしれないが、たとえそれがどんなものであれ、それとは別に「好きな曲をとにかくひたすら流しまくりたい……!! あれも、これも……!!」というノンストップ感しかなかった。

思えば全編、「こんな場面の仮面ライダーが観たい!」「こんなアクションの仮面ライダーが観たい!」「このシーンはこうなってこうなって、こう……!!」という思いの丈が詰まりに詰まって無限に溢れているだけなのである。
これを作りたい人間がこれを観たい人間のために送り出す、美しく閉じられたコンテンツ。
こんな映画にやれコミュニケーションだのやれ人間の物語だの、そんなものは無粋の極みである。よそでやってくれというものだ。

私は仮面ライダーそのものの熱心なファンではなく、昔のライダー作品と平成ライダー作品を後追いでいくつかつまみ食いしただけのビギナー視聴者に過ぎない。
この"怪作"が怪作たるゆえんを語りたくなって本稿を書き上げたが、この素晴らしき『仮面ライダー』を活き活きと語るのはディープでコアなライダーファンの役目だろう。
「その描写はあの作品のこの話から持ってきていて……」「このシーンはこのライダーのマイナー設定と繋がってて……」
そうした「元ネタ解説」およびそこから派生する「考察」は、作品それ自体の解釈としては不純で、作品外の要素を恣意的に持ち込んでいて何とでも言えてしまうのではないか。
普段はそのように考えているが、この作品は例外である。
そういったオタク的な語りで無限に戯れることこそが本懐の、仮面ライダーオタクの仮面ライダーオタクによる仮面ライダーオタクのための映画。

本作は「過去作からの引用」と記号的な「見立て」による演出こそが本題となる、風変わりで純粋な"歌舞伎"ライダーなのである。




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