見出し画像

【昭和の思い出セレクション】瓶ビールとピーセンとデパートのお好み食堂

 非番の日、父は私をよく動物園に連れて行ってくれた。そしてその動物園には、なぜか馬しかいなかった。

馬しかいない動物園

 私たち家族は妹が生まれる前、私が幼稚園に入園する以前は、サザエさんのお宅と同じで、母の実家に同居していた。いうなれば父はマスオさん状態だった。父と私が動物園から帰ると、母の実母である祖母が私に「今日はどんな動物に会ってきたんだい」と尋ねてくるのがお約束になっていた。幼い私が無邪気に「お馬さん」と答えると、祖母がサッと形相を変え「なんで子どもを競馬場に連れていくのよ」と父のことをさんざんやりこめて、母が「先月もなのよ」と祖母に加担するというのが毎回の鉄板であった。
 そんな馬しかいない動物園に行く日は、新宿の京王百貨店の『お好み食堂』に寄るのがルーティンで、私にとってはかなりのお楽しみになっていた。

百貨店のお好み食堂のディスプレイ

和・洋・中なんでも揃っている大衆レストラン

 昭和の時代、百貨店の最上階には『お好み食堂』という大衆レストランともいうべきものがあった。『お好み食堂』には和・洋・中から喫茶メニュー、キッズメニューまでなんでも揃っていた。当時は家族で百貨店に行くのは一種のレジャーで、屋上遊園地で乗り物に乗って、『お好み食堂』で食事をするというのが定番の過ごし方になっていた。
 我が家の場合は、買い物に行くのは決まって新宿西口の京王百貨店。新宿エリアには西口に小田急百貨店、東口に伊勢丹がすでにあったのだが、なぜか京王百貨店に通っていた。祖母は百貨店のことを「デバード」といっていたので私もずっと京王百貨店を「ケイオウデバード」だと思っていた。

お好み食堂は食券方式

5粒のピーセン

 さて、京王百貨店の『お好み食堂』で私が何を楽しみにしていたかといえば、瓶ビールのおつまみとして5粒ほどついてくるピーセンであった。この5粒のピーセンが毎度感激もののうまさだったのだ。ご存知の方も多いと思うが、ピーセンは油で揚げてあるので一般的な煎餅やおかきとは違ってオイリーなコクがある、しかも塩味が効いていて小粒な割に味の輪郭がしっかりしている。さらに噛み締めると散りばめらたピーナッツの芳ばしい香りが鼻腔をくすぐる。中毒性があると言い切ってもいいほどクセになる恍惚のおいしさなのだ。
 京王百貨店の『お好み食堂』は入り口で食券を買ってからテーブルに着くと、ウエイトレスが食券を取りに来て注文を受け付ける仕組みであった。そしてウエイトレスが食券を持って行ったとたんに、どんなメニューよりも早く、秒で出てくるのが瓶ビールなのだ。この瓶ビールについてくるピーセンを私は全て食べていいことになっていた。パクパク食べたらすぐになくなってしまうので、大事に大事に噛み締めながら、こんなにもおいしいものがあるのだろうかとしみじみと思っていた。
 食堂ではお昼の時間帯ならお子様ランチとか、午後の時間帯ならプリンアラモードをとってもらっていたと思うのだが、ありがたさが違う。食べた後の「もっと食べたい」度はピーセンが断然優っていて、満腹感が得られるお子様ランチやプリンアラモードはそこまで楽しみではなかったし、今となっては記憶にさえも残っていない。時間をかけて食べているつもりでもつい夢中になって、あっという間に5粒のピーセンを食べ終わると、毎回たまらなく寂しい気持ちになるのであった。

瓶ビールと、おつまみについてくるピーセン

缶に入った大量のピーセンに驚愕

 ところがある時、衝撃的な出来事がおこる。『大塚のおばさん』と呼ばれている親戚のおばさんが祖母を訪ねてきた際、手土産に銀座江戸一の缶入りのピーセンを持参したのだ。祖母を訪ねてくるおばさんには、『大塚のおばさん』『お米屋のおばさん』『中野のおばさん』などがいて、祖母との関係性は把握できていなかったが、これら『〜〜のおばさん』系はみな祖母の元を来訪する時に手土産をもってきてくれる。たいがいは、かりんとうとか、最中とか、羊羹、水羊羹といった子どもんはあまり興味を持てない和菓子類なのだが、この日の大塚のおばさんはピーセンを持ってきた。
 いただきものをその場で開けるのはマナー違反とされていたので、中身がピーセンだとわかったのは、大塚のおばさんが帰って、祖母と母が包装紙を空けてからだ。母が缶を開けると、缶いっぱいにピーセンが入っているではないか。世界中の人が一度に5粒しか食べることができないものだと思っていた私は、驚いた。大塚のおばさんは、普通の人が5粒しか許されないピーセンをこんなにもたくさん調達してこられるなんて、きっと何か特別な身分の人に違いないと考えた。そうして貪るようにピーセンを食べ続けた私は、ついには祖母に「ばか!子どもがこんなに食べたら、気持ち悪くなるよ」と叱られて、缶を取り上げられてしまった。

缶に入ったピーセン

西友の専門店コーナーに銀座江戸一が出店

 私が幼稚園に入る前の年に妹が生まれ、私たち一家は団地が当たって千葉県に引っ越してサザエさん一家的な暮らしは終わりを告げた。新たに住んだ新興住宅街には、引っ越しをしてから1年ほど経った頃にスーパー西友ができた。オープニング初日、母に連れられて真新しい西友に行くと、1階には専門店コーナーがあって、そこには銀座江戸一が店を出していた。ガラスのショーケースのなかには、さまざまな容量のピーセンの贈答缶が並べられていて、私はようやく「ピーセンって買えばいいだけなんだ」と気がついた。
 世阿弥は能の奥義を記した『風姿花伝』のなかで、「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」と語っている。同様に、手に入らないと思っているからこそ花になる、簡単に手に入ることがわかってしまえばその価値は失せてしまう、ということもいえるのかもしれない。私の中のピーセン神話が音をたてて崩れていった瞬間でもあった。千葉に引っ越したことで京王百貨店の『お好み食堂』に行くこともなくなったこともあって、瓶ビールについてくる5粒のピーセンは輝きを失い、私の中で徐々に過去のものとなっていった。それから30年近く経って、銀座江戸一は1997年に廃業した。ピーセンは世の中から消えるかに思われたが、どっこい同じ老舗の榮太樓總本鋪がレシピと販売権を継承して1999年からは榮太樓總本鋪のピーセンが販売されている。

#創作大賞2023 #エッセイ部門


サポートしていただけたら嬉しいです。 また、記事をこのサポート機能を利用して1本1000~円で転載していただくことも可能です。取材先への掲載確認が必要な場合があるので、転載希望の場合はまずはご連絡ください。文字数の増減や再構成、別テーマでの原稿作成が必要な場合は対応いたします。