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不登校の弊害

私が不登校だったのは中学2年の春〜3年の卒業までなので、2年弱程度の話ではありますが、義務教育9年のうちの2年弱というととても長い。
まあ、2年生の後半からはフリースクールのような学校に行き始めたので、完全に学校という場所に行っていないのは半年もないくらいではあるのですが、とにもかくにも、学校に行かなくなったことは私の人格形成に大きな影響を及ぼしたことは間違いありません。

小学生の頃は友達と遊ぶことが好きで、自分から遊びに誘うことがよくありました。
当時は別に断られることも怖くなかったし、断られたら別の子を誘ったりもしていましたし、夜は友達と長電話することもよくありました。
でも不登校になってからは、友達に自分から声をかけることが怖くなってしまいました。
仲の良い友達に何かされたわけではなく、ただほとんど話したことがない男子に悪口を言われていただけなのに、自分と仲良くしてくれる人も疑ってしまうようになってしまった。
私といて楽しいかな?とか、私に誘われたら迷惑じゃないかな?とか、断られたら私、嫌われてるんじゃないかな?とか、思ってしまうようになりました。
自分が誘われたらとても嬉しいから、きっと私が誘っても相手は喜んでくれるとは思うけど、でもやっぱり自分から誘うのは怖い。
だから、浅い関係の友達とはあまり長く続きません。
相手から誘われることはあっても自分から誘うことがないので、自然消滅してしまう。

そんな私にも親友と呼べる友達が二人います。
一人は保育園から一緒だったNちゃん。
不登校になってからもずっと仲良くしてくれていて、今も地元に帰った時は遊ぶ仲。
もう一人は大学時代の友達A。
Aは部活の同期で、大学時代も色々あったけど、全てを受け入れてくれたし、私が不登校だったことも知っている。Aとはとても価値観が合う。
NちゃんもAも二人ともとても優しい。
前にAから「hanaと出会えたことは私の財産だよ」と言ってもらったことがある。
私はずっと「私なんかといても・・・」という意識が強かったのだけど、そんなふうに思ってくれる友達に出会えたことはとても幸せなことだと思います。
それから、「hana全然誘ってくれないんだもん!」とも言われたこともあって、申し訳ないと思うと共に、もっと自分から誘っても良いんだな、と思うようになりました。
そう思えるようになったのも友達のおかげ。
自分のことを理解し、受け入れてくれる友達が一人でもいれば十分。

不登校になったのはもう20年以上前のことで、その時の傷はだいぶ癒えたはずではあります。
ですが、やはり中学の時の経験はトラウマとして心の奥深くに刺さったままなんですよね。
それは一生消えないのかもしれない。
けれども、自分を受け入れて救ってくれる人に出会えて、自分は自分のままでいいんだと思うことができるようになりました。
これからもトラウマは消えないかもしれないけれど、家族や友達に支えられながら、傷が癒えていくといいなと思います。

取り止めのない話になってしまいました。
読んでくれてありがとう♪

#不登校 #子育て #元不登校 #トラウマ

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