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40代で写真家に転身した話~其の3

写真家にとって、写真は作品であり、商品でもあります。写真に値段が付いてなんぼです。自分の撮る写真に正当な評価が付いているのだろうか?そんなことを考え始めた時期でもあります。仕事はそこそこ順調、でも収入は増えない、相変わらずアルバイトとの掛け持ちです。気象現象のビジュアル化に関しては、それなりに貢献しているはず。研究機関にも提供して論文にも掲載されています。そんな2018年頃からは、目に見えない敵との戦いが始まったような気がします。

この年は2年連続で、埼玉県防災学習センターの企画展に参加しました。テレビの密着取材も再開して、その番組で企画展の様子も放送されました。この年は雷も多く撮影も順調、でも何だか満たされない。モヤモヤは募るばかりです。自分は都合よく使われているだけなんじゃないか、そんなことも頭をよぎります。考えたところで状況が変わるわけではないので、とにかく無心で撮影を続けます。そんな中でも良い作品を撮ることが出来て、写欲に関しては満たされました。

2019年に入ると少し変わった場所での写真展を打診されます。茨城県つくば市北条にある、国登録有形文化財「矢中の杜」です。建材研究家・実業家の矢中龍次郎氏が建てた邸宅で、昭和初期の実験的な建物です。現在はNPO法人に運営されていて、週末を中心に邸宅内部が公開、NHKの連ドラにも登場しています。文化財ですので、釘を打ったり、室内に傷を付けるような展示方法はご法度です。ギャラリーのように照明があるわけでもなく、展示は難しいという印象でした。OKしたのは、新しい展示への挑戦でした。

つくば市北条と言えば、2012年に国内最大級の竜巻が直撃、大きな被害が出た地域です。矢中の杜でも被害が出て、修復には大変な労力が必要だったそうです。そんな場所で、荒天を扱った写真の展示をするわけです。受け入れてもらえるのだろうか?被害を受けた街の皆さんに嫌な思いをさせるのではないか?そんな思いもある中で、プリント作業を続けていきます。室内に負荷を与えないために、できるだけ軽量にすることを考えて、スチレンボードに貼った写真を小型のイーゼルで立てる方法を中心に、粘着タッグなどを利用して展示をすることにしました。一部フレームに入れた写真も展示しましたが、軽量化のため枠のみでガラスは外しました。

いよいよ写真展当日をむかえ、早めに会場入りして最終チェックを済ませます。期間は邸宅公開日に合わせて、2日間のみの短期展示です。蓋を開けると不安は吹き飛び、次々に来場者がやって来ます。正直驚きでした。ポツポツ来る程度だろうと思っていたら、昼食を食べる暇もないほどの来場者。過去に色々とイベントがあったそうですが、1日の来場者数の記録を更新したと聞いて、嬉しいやら驚くやら。最も懸念していた、被災者からの苦言もなく、逆に好意的に受け入れていただけたのが嬉しかった!この展示で、例のモヤモヤが消えたような気がしました。

写真展の直前に、6年続けた清掃のアルバイトを辞めました。写真家活動に集中するためです。この年はとくダネ!の密着取材を受けることになり、気象予報士の天達武史さんと同行することになりました。やはり気象予報士と同行するのはプレッシャーが高くなります。数回の取材の後、無事に放送されましたが、直前に台風15号の被害があり、情熱大陸同様にバッシングの嵐です。知人から聞いた話では、SNSなどには酷いことも書かれていたようです。私の場合、SNSのバッシングには目を向けないので、特に傷付くようなことはありませんでした。実際、SNSのバッシングは当事者以外の人が書いてるわけで、誰かを攻撃して正義感を気取りたいだけでしょう。

6年続けたバイトを辞めた後は、夏頃からやはり生活が厳しくなり、再びアルバイトを始めます。いわゆる日雇い派遣で、18時~24時までの6時間、物流センターでの力仕事です。週に5日、月に12万円ほど稼げました。空調もなく、夜間でも40度近い倉庫内で、汗だくになる毎日でした。ここではストームチェイサーであることを伏せていましたが、とくダネ!放送後、一部の人にバレちゃいました。バレたといっても、特に何か変わるわけでもなく、その後も普通に接してくれましたけどね。

そして2020年、今年は何をテーマに撮影しようか、そんなことを考えている矢先に新型コロナウィルスが世界的に猛威をふるい始めます。2月3月頃までは、まだのんきに構えていましたが、その後、緊急事態宣言が始まり、生活が一変します。自由に出歩けない、当然撮影にも行けない、仕事のキャンセルが相次ぎ、収入ガタ落ち。幸い、緊急事態宣言の期間中も物流センターの仕事があった、と言うか普段よりも忙しい状況でした。これで何とか乗り切った感じでしたが、やはり仕事が減ったことは大打撃でした。オンライン講演など、その時期に合わせたこともやりましたが、世の中全てが自粛ムードで、宣言解除後も生活圏のみの活動が中心、県外に行くことは滅多にありませんでした。

コロナ禍以降、何度も活動を終了しようと思いました。2021年になっても収束する気配はなく、まだしばらくこの状況が続くと思います。現状、出来る限り頑張って、写真家としての活動を維持したいと思っていますが、先が読めない上に相手は目に見えないウィルスです。戦いようがないので、いま自分に出来ることを精一杯やって、何とか乗り切ろうと奮戦しています。noteやYouTubeでの活動もその一環です。コロナ禍が収束した後、過去の人になっていないように自分に与えた課題です。そんな感じで頑張っていきますので、これからも応援よろしくお願いします!

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