見出し画像

40代で写真家に転身した話~其の1

世の中に写真家になりたいと思っている人が沢山いることは知っています。あくまで自称の世界ですから、自身で宣言すれば写真家になることは出来ます。ただ、それを生業にしようと思うと話が変わります。特に今の状況、長く続く出版不況にコロナ禍、カメラの販売不振もあって、これから写真家になろうとしても、入り口に立つことすら難しいでしょう…何か急浮上するようなきっかけがあればいいのですが。

業界の定説として、30代半ばが写真家としてのピークと言われています。それまでに実績を作っておかないと成功は難しいということです。私は現在53歳です。プロ写真家として活動を始めたのは2012年、今から9年前になります。既にピークは過ぎた年齢、成功する自信があったのか、単なるバカなのか、実績もコネも無い状態でここまでやってこれたのは、ある意味幸運だったとしか思えません。勿論、自身で努力もしましたし、良い人に恵まれたことも大きかったと思います。

2010年以前、プロの写真家さんと知り合い、その人のファンを中心に、ことあるごとに飲み会や集まりがありました。写真関係は勿論のこと、色々なジャンルの人が集まり、話を聞きながら刺激を受けたものです。その時の仲間達は今でも応援してくれて、写真展を開けば遠方からでも駆け付けてくれます。フリーランスの活動は、まず人の繋がりが大切なんです。

プロとしての活動を始めたあとに、実際に何をしたかと言うと、メディア戦略です。地方在住の場合、都心の会社に営業に行くにしても交通費や時間も掛かります。私の家からですと、交通費が往復で約4,500円、時間にして往復約4時間半です。正直仕事が無い状態でこの出費は痛いです。そこで目を付けたのがSNSをはじめとするWebメディアです。これなら月々の接続料以外にお金も掛かりませんし、空いた時間に撮影も行けます。ブログ、Twitter、Facebook、YouTube、この4つは最低限やっておいた方がいいですね。ただし、SNS映えや過激なことで注目を浴びるのはNGです。それで注目を浴びても、現物支給の企業案件や写真の無償提供依頼ばかりが来てしまいます。自身で賛同する案件であれば無償で引き受けることもありますが、基本的にはやらないほうがいいです。

地方在住の場合、同じ写真撮影をするにしても、店舗が有るか無いか、組織に所属しているか否かで、その人の信用度が大きく変わります。地方では保守的な人が多いので、個人営業で信頼を得るのは大変です。フリーランスの場合、基本的に店舗は持たず、組織にも所属しませんので、信頼を得るためには地元の有力者に紹介してもらうか、知名度を上げる以外に方法がありません。幸い、私の場合は活動を始めた直後に日経新聞の取材を受ける機会があり、その後、ラジオ出演や雑誌の取材などが相次いだことは幸運でした。スタートはまずまず順調だっといえますね。

しかし、年が明けて2013年になると仕事も無くなり、アルバイトを始めることになります。写真の仕事に影響しないように、朝6時~9時までの3時間、開店前のパチンコ屋で清掃の仕事をしました。時給800円で月に5~6万円の収入になりました。家賃とガソリン代くらいにはなったので、かなり助かりました。そのバイト先でも人の繋がりが広がります。年配の女性が中心の職場でしたが、私の活動を応援してくれて、タッパーにお惣菜を詰めて持ってきてくれたり、口コミで宣伝してくれたり、ここでも人の繋がりが私の活動を広げてくれました。このアルバイトは2019年まで、丸6年間続けることになります。

2013年の夏は雷が多く、梅雨明けから1週間毎日大荒れの天気が続き、毎日撮影してWebで公開していました。その頃から本格的に動画にも参入して、YouTubeも本格的に運用することになります。それが功を奏してか、雷撮影に同行させて欲しいと、テレビ番組を制作する会社から依頼がありました。その番組は「奇跡の地球物語」という日曜日の夕方に放送していた番組でした。それをきっかけに私は急浮上します。

打ち合わせで訪れた番組の制作会社に同じ茨城県出身の方がいて、しばし談笑していたところ「青木さんで別の企画思い付いた」と言われたのです。何のことかわかりませんでしたが、その番組の収録を終えた後に「情熱大陸出てみませんか?」との連絡があったのです。ここから1年以上に及ぶ、長期の密着取材が始まりました。2013年は私にとって第一の転機だったように思います…其の2に続く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?