見出し画像

40代で写真家に転身した話~其の2

2013年からの続きです。信頼を得るための補足ですが、プロとして活動をするなら、Web上でも顔は出したほうが信頼されます。プロを名乗っていながら、顔出しNG、実名NGな人も見かけますが、顔も名前もわからないような人と仕事したいと思いますか?私なら嫌です。

さて、自分にとっては青天の霹靂でのあった情熱大陸からのオファー、すでにシーズン終盤に差し掛かっていたため、本格的な取材は2014年シーズンに持ち越しになりました。そして2013年シーズンの終盤、ダウンバースト発生の瞬間を動画で撮影することに成功しました。この動画をYouTubeで公開すると、爆発的に視聴数が伸びました。そして、この動画を使わせて欲しいという依頼が次々に飛び込みます。現在までに10数件のテレビ番組に提供をして、それをきっかけにテレビ局との繋がりが出来ました。テレビの場合は写真よりも動画が重宝されるところは立場上微妙ですが、それでも貴重な収入源になりますので、駆け出しの写真家としては助かります。

明けて2014年、冬の北陸ロケから情熱大陸の密着取材が再開しました。その後も春先に舞い上がる砂埃や春雷を追ってあちこち走り回ります。5月にはアメリカ中西部のトルネードアレイにも行きました。ですが、なかなか良い結果が出ません。結局、8月も終わりに差し掛かる頃、やっとOKが出たのは放送の僅か数日前でした。番組の予告が放送された後も取材は続いていたのです。正直、私生活を晒すのは嫌でした。40過ぎて独り身のオッサンが安アパートで貧乏暮らしをしている訳ですから。家族や家を持つ同世代の人からは、何やってんだコイツ?と思われても仕方ありません。

画像1

そして、何とか放送日を迎え、私の姿がテレビに映ると、鳴り止まぬ電話とSNSの通知、放送から僅か1時間でTwitterのフォローワーが1000人以上増えました。その影響の大きさに驚いたのも束の間、不謹慎だと言う人達も現れます。放送の直前、広島で大規模な土砂災害があったため、すべて受け入れるつもりで一切反論はしませんでした。落ち着くまで毎日のようにバッシングのメールが届きましたが、それ以上に励ましや共感のメールも多かったのは救いでした。

バッシングのメールに混じって取材依頼のメールも多数届きました。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、講演、イベントなど、あまりの多さに対応し切れないほどでした。そこから数年間は年に数件、テレビ番組の密着取材が入るようになりました。写真家としての私ではなく、ストームチェイサーとしての活動が前面に出た感じですね。番組に出演するたびに仕事は増えていきますが、自分のやりたいことはテレビに出ることではなく、写真を撮ることなんだと思い出します。テレビに出るのはあくまで知名度アップと、活動費用を稼ぐための手段です。本来、人前で喋ることは苦手で、テレビに出るようなタイプではないのです。私は肩書を書く時に、写真家・ストームチェイサーと記載します。写真家を前に出しているのは、ストームチェイサーはあくまで写真家としての活動の一環だからです。限られた時期にしか活動しませんし、他の時期には荒天以外の写真を撮影しています。

2015年には初の著作本が出版されました。茨城県つくば市の出版社からの刊行だったため、つくば市を中心にした人の繋がりが広がりました。それまで活動範囲を広げることばかり考えていましたが、地域密着、地元優先の考え方が芽生えたのがこの頃です。同時に、気象関係からの依頼が増えたのもこの頃からでした。2016年にはクレイジージャーニーからのオファーもいただき、安定期に入ったようにも思えました。

画像2

そして2017年の早春、第2の転機が訪れます。群馬県立館林美術館から企画展参加のオファーをいただいたのです。その年の夏に開催される「カミナリとアート」という、雷をテーマに、現代アートから古美術まで、幅広いジャンルの展示を行う企画でした。そこで原点に戻り、写真での作品作りを全力で行おうと、その年の密着取材は全て断りました。美術館に展示されるなんて初めての経験ですので、とにかく他に出展者に負けないように、時間を掛けてしっかり取り組みました。抽象的な表現の中で、唯一、ストレートに雷を表現した写真を出展しましたが、そのストレートな表現こそが私の持ち味だと気付いたことは収穫でした。

同じく2017年、埼玉県防災学習センターからも企画展のオファーがありました。こちらのテーマは「夏の気象」です。ほぼ同時期に二つの企画展に参加することになり、写真家しての自信が湧いてきた時期でもあります。幸いなことに、二つの企画展は成功に終わり、それなりの評価も受けることが出来ました。写真家は作品を評価されてなんぼですから、作品の展示は最も重要なことでもあります。作品を見てもらい、賛否両論、評価を受けることで次の作品作りに活かすわけです。この二つの展示により、写真家として一段ステップアップ出来たように思いました。

この時点で、フリーランス5年目のジンクスは何とかクリア出来ました。フリーランスで活動を始めた人が、ほぼ5年以内にやめてしまうというアレです。しかし、その時点で数年後に訪れる写真家活動最大のピンチを知る由もありませんでした…其の3に続く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?