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短編小説 「恋の桟橋」



桟橋に立つと、波の音がやさしく足元をくすぐり、遠くの海面が夕陽に染まっていた。ユメコはその光景を見つめながら、胸の奥に残るあの夏の日の記憶をたぐり寄せた。高校三年の夏、ここで感じた胸の高鳴りと、今も変わらない後悔の気持ちが、彼女の心を支配していた。

あの日も今日のように、空は青く澄み渡り、海風が心地よく吹いていた。ユメコは、心の中でひそかに想っていたカズキと一緒にこの桟橋に立っていた。何度も話したいと思いながら、伝えられなかった言葉があった。それは、たったひとつの「好き」だった。

「ユメコ、どうしてここにいるの?」カズキの声が、ふいに彼女を現実に引き戻した。

その日、カズキはいつものように優しく笑いかけ、ユメコの心を揺さぶった。彼の笑顔に隠された気持ちを知りたくて、ユメコは何度も自分に言い聞かせた。「今こそ伝えるべきだ」と。

しかし、言葉はいつも喉の奥で詰まり、口から出ることはなかった。彼女はただ、カズキと同じ空気を吸い、同じ風を感じるだけで、十分だと思い込もうとしていた。でも、その胸の内にある気持ちは膨らむ一方だった。

「ユメコ、海を見てると何か思い出す?」カズキが隣で、少しだけ目を細めながら尋ねた。

「うん…思い出すよ」ユメコは答えたが、それ以上の言葉が続かなかった。彼女はただ、カズキの隣に立ち続けるだけだった。

波が静かに打ち寄せ、海鳥が遠くで鳴いた。その音が、時間の経過を知らせるようだった。太陽が少しずつ沈み、桟橋は赤い光に包まれていく。ユメコは、その光景を前に、決意を固めようとしたが、結局何もできなかった。

「そろそろ帰ろうか?」カズキが静かに言った。

「うん…」ユメコは小さくうなずくと、桟橋を後にした。カズキと並んで歩く道、彼女は最後まで言葉を発せず、ただその背中を見送った。

今、桟橋に立つユメコは、あの時の自分に問いかける。「どうして、勇気を出せなかったの?」と。桟橋は、あの日と変わらない姿で彼女を迎えてくれるが、あの瞬間に戻ることはできない。

桟橋の先で、ユメコはふいに涙がこぼれるのを感じた。後悔はいつまでも彼女の心に残り、恋の痛みが胸を締めつける。夕陽が完全に沈み、夜の帳が降りる頃、ユメコは静かに桟橋を後にした。

「好きって、あの時言っていれば…」そう心の中で何度も繰り返しながら、ユメコは自分の胸に手を当て、深い溜息をついた。桟橋は、彼女にとって恋の象徴であり、同時に後悔の象徴でもあった。

次にここに来るときは、もう少し勇気を持てるだろうか?ユメコは、自分にそう問いかけながら、海辺を離れていった。

その夏の恋は、彼女にとって永遠の記憶となり、胸の奥にそっとしまわれたままだった。




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