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<生かされている実感>       何度も助けられた

私は死にかけたことなどいろいろある。
例えば、
●ハイハイしている赤ん坊の頃、母は洗濯物を干していて
側にいた私は2階の部屋から(階段をどう降りたか不明)外へ脱出し
よく小さな子供が落ちて亡くなる子もいるほどの
大きな溝(当時は柵がなかった)がある車道の端っこを
私はハイハイしながら歩いていたが、警察に抱えられて
家まで戻ってきた、とか

●子供の頃、とてつもなく大きなアオダイショウを見たり
左手を大火傷しても、一歩手前で障害を避けられたり
原因不明の頭痛で検査を受けても、何もなかったり
万引きをする悪な男友達とつるんでも、不思議と縁がなくなったり

●北海道の専門学校登校時に小さな池に氷が張っていた冬のこと。
どれだけの氷の厚さか確かめるためにゆく。              足でツンツンしただけでは確かではない、踏み込んでみた。すると    ズボッとバシャンと池に落ちた。こういう時に限って人が周りにいない。 上がろうと何度も試みるが10代の私は厚めのズボンを履いていて水分を含み、割と重かったに違いない、なかなか上がれないのだ。        生死に関わる時馬鹿チカラが出るというが出なかった。        でも頑張って農業で鍛えた体力を振り絞って上がろうとしたが脱出できなかった。かなり身体が寒くなってきて、凍傷・・・このまま死ぬのかな・・・ なんて思った。

人は死ぬ間際にはこれまでの人生が走馬灯のように記憶が駆け巡るというのが頭をよぎった。・・・シーンとしていて、何もなかった。       てことは私死なないんだな、                     と思い再度上がろうとトライする。すると何度目かで          今まで出来なかった這い上がりが出来て陸に上がることが出来た。    ちなみに部屋に辿り着き隣人の親友に声を掛けたら爆笑された。     心配しないんかい!!!私はそういうキャラらしい。。。

●社会人になってから東京に上京したある時には
勤務後、渋谷に出掛けようとしたら謎の高熱で寝込んだ。
翌朝 渋谷東口でバット通り魔事件がNEWSになっていて、そこは
私が通る予定の時間帯と道で難を逃れた。
秋葉原通り魔事件の日時も、秋葉原が頭をよぎるも行かなかった。

●東日本大震災時の前日の勤務後、店を出たその瞬間 具合が悪くなり
インフルエンザのような症状でうなされた。
当日は日勤勤務日だったが、休みをもらい午前中病院に行った。
その後の大地震、同棲していた妹3女は2女と川崎に出掛けていて
帰宅難民になった。
当時の仕事はコンビニの仕事で、夜勤の人が来られなくて日勤が
24時間以上働いたとのこと。
私が多めに発注していた中華まんは全部売り切れていた。

ある急いでいた朝の鼻洗浄で、急いでいたので塩をいれず真水で
鼻の中に水を吸い込んだら【ズンッ】と強い衝撃があった。
するとしばらくして具合が悪くなり呼吸が困難になった。
仕事は休みの電話をいれ、母に病院まで連れて行ってもらった。
本当に死ぬかもと思った。

CTも取ったが、原因不明。
あることをキッカケにそれは治った。
救急に運び込まれバイタルを計られ、そのまま放置されていた。
「(おいおいほんまに死ぬって!放置のままでいいのか?!)」
声に出したくても出せない状態を初体験した。
死ぬことに恐怖も何もなかったが、
社会問題である病院たらい回しの状況に似ていて(治療されない状況)  こういう気持ちなのかもと死にゆく人々の虚しさのようなものも経験した。

その時、ある女性看護師がやってきて私の頭にアイスノンを施した。   それから段々と呼吸がしやすくなり、正常の状態に戻った。

病院では症状が分からなかったが、勤めていた施設長が看護師さんで状況を説明したら「これだろう」と印刷して見せてくれた。少しうろ覚えだが、 脳血管拡張性何とかという病名で、放置され続けていたら血管が破裂して 死んでいたとのこと。

とても勉強になりました。

他にもいくつかありますが、小なるものなので時間あれば更新します!!!

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