夢と現のあわい ― 或いは太古の虫の羽根

見た夢を寝起きにまだ覚えているときには夢日記というのをnoteでつけているのですが、勤めが休みのきょうは不覚にも昼近くまで二度寝してしまい、一度目に起きたときに覚えていた夢は残念ながらすうっと記憶の彼方にとけて行きました。

きょうは夢日記に代えて、ひとつ或る思い出話でもみなさまに読んでいただこうと筆を執っている次第です。

あれは中学校のころでした。

生来、運動音痴の私は、小中と(そして高校も)ずっと文化部に所属しておりました。中学生のころは科学部というのにいて、理科室でさほど危険でない実験器具や試薬を顧問の理科の先生が許可してくれるかぎりでいじくりまわしたり、視聴覚教室で当時は個人宅ではまだまだ珍しかったパソコンをいじくりまわしたりする生活を送っていました。

毎年、夏休みになると科学部では恒例の行事がありました。それは近くの断層(?)のような、切り立った斜面に自転車で乗り付けて行って、午前中いっぱい化石を掘るというイベントでした。

もっとも、化石といっても、あのころ封切された『ジュラシックパーク』に出てくるような恐竜の骨やなんかが出てくるわけではありません。出てくるのは表題にもあるとおり、古代を生きた昆虫の羽根です。

照りつける真夏の太陽のもと、目に入る汗をぬぐいながら、中学生たちによる発掘作業が慎重に進められていきます。なにしろ昆虫ですから、大した大きさではありません。気をつけていないと簡単に見失ってしまいます。

最初のひとつを見つけたときの感動は、いまでも鮮明に残っています。

固い岩石のようなものにかぶった土を軍手をした指で慎重にほろっていきますと、そのうちにきらりと光るものに行き当たったのです。「…あった!」と声をあげることさえできず、私はただ息を呑みました。

そこにあったのは、太古の小さな虹でした。

そう、「虹」としか言いあらわしようのない、なにかはっとしてしまうような世にもうつくしいものが土の下に隠れていました。拾い上げ、掌の上で角度を変えるとそれにしたがって、色味がうつろっていきます。あんなにうつくしいものを、私はほかに思い浮かびません。

けれども、それがふうっと色を失ってしまう。

何でもない、濁った、薄いプラスチックの板みたいな、てんで無味乾燥のものに変わってしまいます。それはほんとうに一瞬のできごとでした。

顧問の先生(学生時代は地質学を専門にされていたようです)に尋ねてみますと、何でも、それは羽根が空気に触れると同時に酸化してしまうからだ、という説明でした。

見つけたと思って、「奇麗だな」と思ううちに、みるみるうちにふうっと儚くも消え失せてしまう。私が、夢というものになにか思い入れをもつのも、或いはこういうものにうつくしさを見出すからなのかもしれません。

夜な夜な文字の海に漕ぎ出すための船賃に活用させていただきます。そしてきっと船旅で得たものを、またここにご披露いたしましょう。