赤ちゃんがエレベーターでお空に昇った話
これは、とある友人のおはなしです。
臨月に入ったとき、おなかの中で赤ちゃんが死んだ。
原因不明。
きのうまで元気な胎動を感じていたのに、突然動きが止まって違和感を覚えた。
病院にでんわしたらすぐ来るように言われる。
心臓が止まっていた。
すぐに出産しないといけないとのこと。
死んだ赤ちゃんを、陣痛促進剤を使って産むのだ。
「帝王切開にしてください」とお願いした。
あの痛みは、元気な赤ちゃんを産むからこそ耐えられるもの。とても耐えられない。
「帝王切開にすると、元気な赤ちゃんを産んだお母さんたちと10日間、入院しなきゃならない」と先生。
ツライけどがんばろうと言われ、出産した。
病院の好意で、その日のうちに退院させてもらった。
上の子の保育園の送り迎えがある。
「産まれたの…⁉︎」
「おめでとう‼︎」
と、口々に言われる。
そりゃそうだ。
大きなおなかがペタンコになったのだから、みんながそう思って当然である。
「実は……」と説明しなきゃならない。
そうすると、みんな悲しい顔をする。
わたしが泣いてないのに泣き出す人もいた。
気を遣って笑顔で話さなきゃならない。
どんどん、外に出れなくなってしまった。
どうして死んでしまったのかな?と考える。
答えはなんとなく浮かんだ。
わたしが、喜ばなかったからだ。
赤ちゃんは4人目だった。
3人目はもうすぐ小学生。
2年前から始めた営業のしごとで地域トップの成績をとり、乗りにのっていたときの、思わぬ妊娠だった。
正直、心から喜べなかった。
また1からの子育て。
キャリアストップ。
いろいろな思いが錯綜した。
それでも眠っていた子供用品を引っ張り出して、名前も決めた。
しごとも育休の手続きをとった。
でも、赤ちゃんは許してくれなかったんだと思った。
外に出れなくなってしまったので、自然としごとは辞めることになった。
どうやって引き継ぎをしたのかも覚えてない。
家のことも、どうしていたのか思い出せない。
上の2人がある程度大きかったし、パパも自営だったから協力してくれていたのかも。
わたしは、今が何月で、何曜日なのかもわからない日々を送っていた。
「マスクせずにカビキラーしたからだ‼︎」
と叫んだことがある。
だから赤ちゃん、死んじゃったんだ、と。
パパは悲しそうな顔をしていた。
子どもたちもなにも言わなかった。
わたしは家事もせず、下の子の送り迎えもせず、上の子の参観日も行かなかった。
このままじゃダメなことはアタマのどこかでわかっていて、でもどうしようもできない。
暗い暗いトンネルを、ひたすら歩いているような感覚だった。
ふと気付くと、目の前に女性がいた。
白いヴェールをかぶり、白いワンピース。
まるで天使のような格好だ。
よく見ると腕の中に、1才くらいの赤ちゃんを抱えている。
わたしがほっぺをツンツンと触ると、赤ちゃんはわたしの目を見てニッコリと微笑んだ。
とたんに涙があふれる。
「この子、怒ってないんだ」
怒っているから来てくれなかったと思っていた。
怒ってないんだ。
おもむろに、女性と赤ちゃんが後ろにあるエレベーターに乗り込んだ。
ドアが閉まると、上の矢印がキラキラと光り、エレベーターは一気に上へとかけ昇っていった。
目が覚めるとびっくりするくらい泣いていた。
わたしは起き上がる。
部屋の景色がいつもより色づいて見えた。
ずっとアタマの中にかかっていたモヤも、クリーンになっている。
カレンダーを見ると、1年前、赤ちゃんが死んだ日だった。
命日だったのだ。
友人はこのあと上の子のPTA役員に立候補し、しごとにも復帰しました。
命日にそんな夢を見たことが偶然とは思えない、世にも不思議なおはなしでした。
事実は小説より奇なり。
最後までお読みいただきありがとうございます!もっとがんばります。