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今、ここに集中する。考えても仕方ないことは受け入れる。


ときどきどうしようもないことを考える。

昔あった嫌なこと、嫌な人、過去の失敗、あのときこうしていれば、もしこうなったらどうしよう、あの人にこう言われてたら嫌だな、なんであの人はあのときこう言ったんだろう。

今でもほっといたらこういうネガティブな自分にコントロールできない過去のこととか起きてないこととか他人のことを考えてたりする。

昔はもっとひどくて、95%くらいネガティブなことを繰り返し考えてたんじゃないかな。

考えても仕方ないことが頭に浮かぶのは、たぶん人間の本能みたいなもんで、今後を戒めるためだったり危険を避けるためだったりするんだと思う。

確かにそういうメリットはあるけど、そういう思考が習慣になったり、その過程で心を病んだり、寝不足になったりデメリットがでかすぎる。

で、人間ってそのことに何千年も前から悩まされてて、その解決策としてストア哲学が生まれたんだと思う。

自分にコントロールできることと出来ないことに切り分けて考えたら、自分次第のことは「今、この瞬間の自分の意志」だけしかないと気づく。

過去を悔やんでも結果は変えられない。未来を憂いても結果は選べない。

他人がどう思うか、どう行動するか、明日雨が降るか雪が降るか、いつ地震が来るか、経済がどう動くか、全部自分にはコントロールできないこと。

自分にできるのは、今この瞬間に集中して、今できる最善の行動を取ることだけ。

今の最善の行動の結果はコントロールできないけど、ただただ無意味に思い悩んで動けなくなるよりは良い結果に影響することができると思う。

例えば弓矢を的に当てるために自分にできるのは、日頃からの訓練と真っ直ぐに飛ぶ弓矢を用意すること、的に当てるために集中して矢を放つこと。

弓につがえた矢を射って、自分の手元から矢が離れた瞬間から、自分にできることはもう何もない。

あとは風が吹いて矢の進行方向を変えようが、的が地震で動こうが、誰かが的の前に歩いてこようが妨害しようが、自分にできるのはその結果を、心穏やかに受け入れることだけ。

ただはっきり言えるのは、これらのことを心配して日頃の弓の訓練に集中できず、またはやらずいたら、普通に実力不足で的に当たらなくなるだけのこと。

何かを選択するとき、私たちは他のすべての選択肢を切り捨てている。

思い悩んでいる瞬間は、今できる最善の行動すら切り捨てていることを忘れてはいけない。

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