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自分にコントロールできないことは放っておけ。過去も他人も変えられない。

自分次第のこと、そうでないこと

自分にコントロールできることと、コントロールできないこと、あなたにとってどっちが大切ですか?

こう聞かれたら、「自分にコントロールできること」と答える人がほとんどじゃないでしょうか。その理由を問えば、

「なぜって、自分にコントロールできることは自分の行動次第で変えられることができるけど、自分にコントロールできないことは自分の行動は関係ないわけだから、気にしても仕方ないし」

と答えるのではないでしょうか。
はい、そのとおり。
今、自分が気にすべきなのは自分の行動次第で変えられることです。

でも、私たちは普段、自分にコントロールできることとできないことの区別(二分法)を意識して生活しているでしょうか?

少なくとも私は未だに「これは自分のコントロールの及ぶことか否か」などと、日常生活のあらゆる場面で意識し続けることは難しいです。

ただ、日常生活で必ず起きる嫌なこと、災難、現実に対してはこの思考法がとても有効です。

2つの例をとおして二分法の基本を考えてみたいと思います。

二分法の基本 家族旅行編

例えば、私が家族旅行の計画を立てたとします。というか今まさに立てています。この家族旅行を二分法で見た場合、

自分のコントロールが及ばないこと

旅行当日の天候、交通渋滞、旅先での予想外のトラブル、宿泊施設のサービスの質や宿泊客の行動(マナーの悪さ)など。また、自分や家族の体調なども影響は与えられても完全にコントロールはできない。
仮に旅行が計画どおりに進んだ場合でも、家族全員が楽しめるかどうかまではコントロールできない。

自分のコントロールが及ぶこと

①旅行の予算や日時、家族の希望の聞き取り、行き先の決定、観光ルートの下調べ、宿泊場所の予約、交通手段の選定、持ち物の準備など旅行についての自分にできる限りの計画や準備全般。予想されるトラブルへの備えも含む。

②予期せぬ出来事、例えば天候の急変、交通の遅れ、旅先でのトラブル、事故、病気などあらゆる自分のコントロール外のことに対する自分の態度や反応。計画外のトラブルへの冷静な対応や、代替案を考えて楽しむ心構えなどは自分次第でコントロールできる。


これが二分法ですが、どちらに力を注ぐべきかはもちろん自分にコントロールできることです。
さらに、自分にコントロールできることの中でも特に重要なのは②の自分の態度や反応です。
①の計画や準備そのものは大切ですが、どれだけ綿密に準備しても自分でコントロールできないことなんて無限にあります。
予想外のことが起こった場合、それに冷静に対処する態度や、どうにもならないことが起きた場合はそれに囚われず、理性的な反応をすることは自分で選択できます。

これは出来事と自分の反応の間に理性を働かせることにほかなりません。

これができていなければ、例えば「侮辱された」→「侮辱し返す」のように出来事と自分の反応は脊髄反射みたいなものになってしまいます。
ここに理性を働かせ、あくまで例えですが「侮辱された」→「理性」→「その場は無視する、悪質な場合は然るべき場所に訴え出る」など、自分次第で反応を変えられます。

では、次に現実には解決が非常に難しい職場におけるパワハラへの二分法の応用を考えましょう。

職場でのパワハラに対する二分法

自分のコントロールが及ばないこと

パワハラをする人間の行動、職場の文化や環境、周囲の同僚や上司がその状況をどう思うかなど他人の関与すること。

自分のコントロールが及ぶこと

自分の反応、行動、態度。

反応:パワハラを受けたときに自分の感情をコントロールし、冷静に対応すること。感情的にならずに理性的に対処する努力。

行動:パワハラを受けている証拠の収集、然るべき職位や機関へ訴え出ること、場合によっては転職活動、ストレス軽減のための活動など。

態度:パワハラを受けて自己肯定感を低くしないこと、問題解決に向けた前向きな行動をとる態度など。

実際、パワハラを受けているとこのような二分法を実践するのは非常に難しい精神状態になります。私も経験があるのですが、二分法を日常的に実践していたらもう少し上手く対処できたかなと思います。
結局は二分法も思考の習慣なので、これも日々努力するしかないと思います。

余談ですが、パワハラをする人間はどんな相手にもパワハラをするので、されている側に問題がないことがほとんどだと思います。
私も上司にパワハラを受けていた時期がありましたが、その上司と同じ立場になったとき、彼が単に気分で立場の弱い部下をいじめていたことを完全に理解しました。(あくまで一個人の体験でしかありませんが)

コントロールできないものにどう対処するか


2つの例をとおして、自分のコントロールできることとできないことのくくりがなんとなくわかったと思います。

コントロールできることは自分の行動・態度・反応、できないのはそれ以外のすべて。
雑にくくるとこんな感じでしょうか。

ちなみにコントロールできないもので忘れてはいけないのは「過去」と「未来」です。

過去は自分の行動であろうが他人の行動であろうがその事実に対しては直接影響を与えることができません。
これは、つまりその事実について例え失敗だったとしても過去を思い悩む必要はないということです
重要なのは、今とこれからの自分の行動だけであって、失敗は失敗だったと受け入れ、今後の自分の行動の参考にすればいいだけです。
例えば人を傷つけ、それが失敗だったと思うなら誠心誠意相手に謝罪し、損害を補償するなどの具体的な行為の方が思い悩むよりよほど重要です。(相手が謝罪を受け入れるかどうかは自分のコントロール外のこと)

また、未来はまだ起きていないので直接影響を与えることはできません。
「でも自分の行動を通して未来に影響が与えられるのでは?」と思うでしょう。間接的に影響を与えられる分野はもちろんあります。
しかし、例えば自分で走行中の車の前に飛び出す選択はできたとしても、車に撥ねられたことによる結果については自分で選ぶことはできません
ほかにも石を的に向かって投げることはできても、的に当たるかどうかは不確定要素がいくらでもあるので実際に的に当たるかどうかという結果、つまり未来は選ぶことはできません。

はい、結局のところ私達のコントロールの及ばないことについては深刻に考える必要はありません。

もちろん、自分の行動の参考にするために明日の天気は知っておいた方がいいときもあるし、法律の改正も知っておいた方がいいし、上司の機嫌をうかがった方がいい場面もあるでしょう。

そういった必要な情報のみを冷静に選び取り、それ以外の自分のコントロールできないことについては、もう放っておきましょう。

特に人間関係についてはこの考え方をすると楽になります。
誰しも経験があるかと思いますが、あの人に嫌われていないだろうか、などという疑念は単なる妄想です。

それがただの思い過ごしの妄想であればその疑念は人生の浪費そのものです。
また、例えそれが事実だったとして私達にできることはなんでしょうか?
その人に嫌われないように無理してでも行動を変える?
その結果、その人に好かれるかどうかは私達にコントロールできません。
そもそもどんな聖人君子でも全員に好かれることはできませんし、自分の行動が徳に反しないものであれば、なんら恥じることはありません。

結局、私達にできることは自分の行動・態度・反応を正しい方向に向けることだけです。
他人も過去も変えられない、変えられるのは自分だけ。
そう思って生活することが健全な人生でしょう。

今回ご紹介した二分法はストア哲学の重要な考え方のひとつです。興味があれば他の記事もご覧ください。

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