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2021年2月「SNSの言葉に飲み込まれそうになった」

退職前で時間があったからか、スマホを手にしている時間が多くなった。

友人たちのストーリーズやつぶやきを眺めていることがほとんど。頭を働かせずにただただTikTokをスクロールしているだけで2時間が経っていた休日もあった。『花束みたいな恋をした』で菅田将暉演じる麦が「パズドラしかやる気出ないんだよ」と言った気持ち、ちょっとわかる。

Twitterでは、男女平等やジェンダーレスが振りかざされ、誰かの発言や作品が毎日のように炎上している。何が本当の正義なのかはわからない。ただ、無限の繋がりの可能性があるSNSだけれど、自分が見ている(フォローしている)範囲だけの意見がマジョリティに思える、意外と狭い世界だということは確かだ。

誰もが同志をフォローし、同志の意見を拡散する。タイムラインだけ眺めているとそれが大多数の意見に見えるけれど、SNSを飛び出して見てみれば議論している人さえ少数だったりする。

自分が広いと思っている狭いコミュニティの中のマジョリティを、世の中の総意だと思ってはいけないと実感した。SNSから変えられる世界もあるけれど、そこに過剰な期待を寄せてはいけない。


人はなぜ知る必要のないことを知ろうとしてしまうんだろう。

私には推しがいる。住む世界は違えど、同じ次元で生きている、実在する人間だ。自分の身を使って人と対峙している人は、多くの注目を集める分、賞賛も批判も受ける。自分が構成している世界の中だけで楽しめばいいのに、なぜ外の声が気になってしまうのだろう。見なければ知らなくて済むことをわざわざ知りたくなって、エゴサや2chのまとめサイトを見に行ってしまう。

推しに向けられた心ない言葉や、同じものを愛しているはずなのに繰り広げられる罵り合いのテキストを見て、心が疲弊していくのを感じた。

「止めたい」と思いながらも毎日見に行ってしまう。日に日に心が消耗されていき、手には常にスマホがある。顔も知らない他人による、会ったこともない人への悪口に心を掻き乱されている。

1日のスクリーンタイムが8時間を超えたあたりで、「このままじゃ飲み込まれる」と感じた。

有給休暇ととり、すぐにスマホの通知を切って手の届かない場所に置いた。いつもSNSに割いていた時間にやることがなくなり、おやつ代わりにホットケーキを作って溜まっていた小説を読んだ。

本に没頭していると、思いつくことがたくさんあった。SNSを見ている時に見失っていた自分の言葉を、取り戻した気がした。

SNSに時間を使いすぎないようにしよう。言葉を失わないで、言葉を生み出せることに時間を割こう。

そんなことを強く感じた2月だった。

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